T

 ずっと「どうしよう」って、頭の中で繰り返してた。

 さっきまであんなに寒かったのに、いまは変に熱い。熱が出てる証拠だ。

 何度も経験してるからわかる。

 運が悪いのか、雨まで降り出していた。

 いや、かえっていいのかも。このまま状態が悪化したら、僕の望み通りになる。 なのに頭の中では、「どうしよう」って思ってた。

 平日の午後。行くところなんかない。

 所持金はポケットの中の二百円だけだ。それだけじゃ、せいぜいパンと飲み物を買えるぐらい。

 もう三日は水ぐらいしか口にしていないけど、お腹が空かないから、なにかを買おうとは思わない。

 とりあえず雨をしのげるビルの軒下に移動した。

 だけど、あとから気づく。ゲームセンターだったんだ。

 人の出入りが激しいし、自動ドアが開くと中から騒がしい音楽が飛び出してくる。

 にぎやかなところは好きじゃない。

 別のところに移動しようと、適当なところを目で探している時だった。

「傘がないのかい?」

 低いのに柔らかい声が、真後ろからした。

「え?」

 こんなところに知り合いなんていないから、びっくりして振りかえった。

 背の高い、きっちりとスーツを着こなした三十台の男のひとだった。

「あ、すみません」

 ゆく手を僕が邪魔したみたいだった。

 道を譲りながらチラッと顔を見たとき、視線が合った。

 眼鏡が冷たい感じだけど、きれいな顔立ちのひとだった。僕の周りには、こんなにきれいなひとはいない。

 目があった瞬間、なぜか向こうも少し驚いた顔をしていた。

 顔に何か付いてたかな。

 急に恥ずかしくなって、袖でそっと頬を拭った。

「ひとりですか?」

 通りを開けたのに、そのひとは動こうともせずに僕にそう聞いた。

「あの」

「目的が………なら、私につきあってくれないか?」

 ちょっとあたりを気にすると、こっそりと僕に耳打ちした。

「私は勘違いをしただろうか」

 見上げた僕に、確信を持った瞳が問いかける。

 このひとは僕の目的を察知したんだと思った。

 そんなに僕の顔に出ていただろうか。

「売春目的」で街角に立っていることが──────────── 。

 

 

 


 

 

「ここでいいかい?」

 てっきりそこらに点在してるラブホテルに入るのかと思っていたら、少し歩いて名前のある高級ホテルにチェックインした。

 取った部屋は三十階にあるダブル。ちらっと見た価格表には、予想していたホテルの十倍の値がつけられていた。

「名前を聞いてもいいかな」

 中に入ってアメニティを確認しながら、僕の名前を聞く。 バスルームからの声は、少しエコーがかかっていてますますいい声に聞こえた。

「嫌なら構わない。別に知らなくても、それはそれで構わない」

 僕が黙ってるに怒った素振りもない。とても穏やかな口調だった。

「ちさと………千の聖って書いて千聖です」

 嫌なわけじゃなかったから、教えた。

 本名がばれてマズイことなんてない。

「いい名前だ」

 本名だと思っていないかもしれない。女の子みたいな名前だし。

 だけどそのひとは誉めてくれた。

 誉められても、名前なんてただの識別だと思ってる僕はなんとも思わないはずだった。

 だけど、今日はなんだかちょっとホッとしたような感じになる。

 なんでそう感じたのかは、僕にも分からない。

 声が優しいからだろうか。そんなぐらいしか思いつかない。

 ただ、前にもやっぱり「俺もその名前が好きだ」と言ってくれたひとを思い出す。

 どうしてるかな。連絡しないまま、飛び出してきちゃったけど。

 怒ってるかな。それとも、僕をもう忘れてしまっただろうか。

 思い出して、少し声が聞きたくなった。

「先にシャワーを浴びてもいいかい?」

 していた腕時計を外すと、ことんとサイドテーブルに置いた。

 僕が黙っているのを、肯定と取ったのかそのままバスルームへと姿を消す。

 少しして、水の音がしだした。

 心配はないのだろうか。

 椅子にかけられたスーツのうちポケットから、財布が覗いてる。

 さっき置かれた時計はロレックスだ。

 僕が持って逃げてしまったら、あの人はどうするんだろう。

 別にそんな事をするつもりはないけど、あまりの無防備さにこっちが驚いた。

 慣れている風だったけど、世間知らずなのかも?

 まだ痛い目を見た事がないのだろうか。

 僕は腰掛けていたベッドから立ちあがって、窓辺へ立った。

 さっき降っていた雨が本降りになって、街をぬらしてる。

 ここから僕がたっていたビルが見えた。

 街の明かりはきれいだけど冷たい。

 この高さから見下ろすと、よくわかる。

 あたたかそうな明かりの下は、誰にも無関心な人波しかない。

 僕がどこでのたれていようと、気にも留めない人たちが暮らしてる。

 だけどそれが好きだった。その冷たさが。

 僕はその窓にカーテンを引くと、ベッドにごろんと身を預けた。

 それは、かたくも柔らかくもないちょうどいい堅さで、僕を包む。

 頭がポーっとする。

 疲れてるのか、熱が出てるのか。

 まぶたを閉じたら寝てしまう気がしたけど、すうっと暗闇に引き込まれるように眠ってしまった。

U

新年一発目はお蔵だしです。
カムロさんと組んでいたときには書いていたように思うから、結構前ですね。
いまのぱそに替えてから、打ち直ししようとして時間経過に最初から書き直したほうが早いと元の原稿をすっぱり捨てちゃいました。
そして本編よりも先に、番外みたいなのがぴんからのコピーで出ています。こそっと。
クリスマスネタで、千聖がクラスメートと再会する話。
この話は書きたい事柄があって、ずっと生暖かく抱えていたものだけどいつまでも抱えていてもしょうもないので、こっちでチマチマ書いていきたいと思います。

2005.01.06

 

 

 

 


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