重ねる秘密、降り出す雨音

「煙草、吸わなくなったんですね」

 長いキスのあと、なぜだか残念そうに流成はそう言った。

 涼太が煙草を吸わないその理由を、流成だって薄々知っていたけれど。

「寮内でで煙草はご法度なんだろ?」

 首筋に舌を遣わせると、敏感な肌がぴくんと反応する。それ を確認して、涼太はチュッと音を立てて吸う。

「前はあんなに、煙たい顔してただろ?」

 煙草をやめたわけではなかった。ただ康久と接しているときだけはやめるようにしていた。

 康久といないときでも、康久に逢う日には自分から煙草の匂いがしないように、自分のまわりの人間にも吸わせない。

 理由はただひとつ。煙草嫌いの康久と、康久の身体のため。

 もともと、ただのかっこつけだけで吸い始めたもので、なければ死ぬような物でもなかった。

「嘘が下手ですね」

 ばれるような嘘なら、いっそ本当のことを言ってもいいのにと流成は思う。絶対認めないけど。

「嘘? 本当のことだよ」

 しっかりした造りといえ、部屋は完全防音なわけじゃない。

 話し声ぐらいなら外に漏れはしないが、情事の声は別の周波数なのか、寮内で何度か他人のを聴いたことが流成にはあった。

 寮長がこんな不純同性交遊の現場に、踏み込まれるわけにはいかない。

 感じはじめてもれる甘い息を、必死で飲みこむ。

「こんな時間から人をベッドに連込むんだ。楽しませてくれるんだろう?」

「はっ………や………」

 くいっと太股を担がれ、敏感な膝の裏を舌が滑る。

 すらりと伸びた脚の、白い肌にくっきりと映った血管をたどりながら、涼太はあいた手でうるさく肌に張りつく髪をかきあげた。

 束ねるには短く、だからといって短く切るのは胸がむかつく。すべてこの男のせいで。

「欲しかったら自分で脱げよ」

「え………?」

 火照りはじめた肌を自分ではもてあます頃、見計らったように流成を突き放し、涼太は意地悪くそう言った。

「俺に抱かれたいんだろ? だったらその気にさせろよ。自分から脚開け。女はみんなそうしたぜ」

 女はそうしたと聞かされ、流成の胸に嫉妬と黒い感情ががわく。

 他の誰かもこうして涼太と寝たと言うことと、そんな女たちと自分は一緒だと言うこと。

「優しく抱いてやるよ。この前みたいに、ひどくしない。指から爪先まで、お前が望むとこ、感じるところ、ぜんぶ舐めてやる」

 優しい言葉に、流成は眩暈を覚えた。

 


 

 騒つく放課後。廊下のいちばん奥に位置する静かな生徒会室のドアを小林流成は開けた。

「失礼………仕事中でしたか?」

 部屋には、三年の副会長しかいなかった。それも電話中の。

「書記から。代わる?」

 すっと差し出された受話器を、流成は手でせいして微笑んだ。

「油売ってないで、はやく帰るように言ってください。人呼び付けといて、本人がいないなんて」

「聞えただろ?会長帰らないと、仕事が進まないからな、はやくつれ戻せよ」

 ケタケタと笑って電話を切ると、月城奨武(つきしろ しょうぶ)は「元気そうだな」と流成に笑いかけた。

「前はよくここにも顔を出したのに、最近はご無沙汰だったじゃないか。つれないね、相変わらず」

 冗談に顔を顰められてそう言われると、流成は困ったように笑い返すしかできなかった。

「そうですか?」

「とぼけるなよ。俺がいるからだろ?」

「そんなことないですよ。私も寮長なんかになってしまって、いろいろと忙しいんですよ」

 痛いところを突いてくる。

 月城奨武が自分のことを好きだという噂が流れてから、自分が優一のいるこの生徒会室に近づかなくなったことを言っているのだろう。

 噂だけだ。別に本人から直接言われたことはない。

 だが、好意を持たれていることは流成も感じていた。

 でも、涼太以外は恋愛の対象になりえない。変に恋愛沙汰に発展するのが流成には不本意なことで、だから奨武から逃げていた。

 今日だって、奨武と二人きりになるとわかっていたら、優一の呼び出しに応えはしなかった。

「噂を気にしてんのか?」

「え?」

 どこか距離をおく流成に、奨武は真顔でそう尋いた。

「俺がお前を好きだという噂」

「………そんな噂、あったんですか?」

 流成はしれっととぼけて見せたが、奨武にそれは通用しなかった。

「お前の耳にも入ってんだろ? お互いおとぼけはなしにしようぜ」

 罰悪そうな顔をする流成に、奨武はそう言ってにやりと笑う。

「………わかリました」

 もう逃げられないなと、流成も腹を括って奨武の前の椅子に腰掛けた。

「好きなんだ」

 なんの臆面もなく、奨武はその言葉を放った。

 真正面から、自分の気持ちを。

「噂のもとは俺自身だよ。でも故意じゃなかった。なんとなくそういう話題になったときに俺がお前の名前を出したから、それが噂の素になった」

「……………」

 目を逸らすことなく、真っすぐにそうぶつけられた。

「俺はこんな性格だからな。この気持ちは胸にしまっておくなんてできねーし、できればお前をそばに置きたいと思ってる」

 好きじゃない、でも嫌いじゃない相手から告白されるというのはこんな気持ちなのかと、奨武を見つめ返しながら流成は思っていた。

 嫌な気分じゃないが、どこかがスッと冷めてゆく。目の前の月城祥武を、ついさっきまでとは違う、少し遠くで眺めている。

 そんな感じがしていた。

 意識していなかった相手から告白されてこんな感じなら、嫌いな相手から告白された源太はどんなふうに感じたのだろうと考えて、胸の奥がチクッと痛んだ気がした。

「東原涼太とうまくいってるんだって?」

「えっ!?」

 奨武の口から涼太の名前が出たので、流成は声を出して驚いた。

「そんなに驚くことな。だろう」

 いきなり奨武は破顔した。

 そんな奨武の態度にも、流成は面食らう。

「それこそ噂になってる。耳に入ったときは、俺も驚いたけどな。だって、お前がずっと東原を気にしていたことも俺は知ってたから」

 笑っていてはいても、奨武の笑顔はどこか寂しそうにも見えた。

「ただ俺は、自分の想いを押しつける気はないよ。今日、好きだなんで言っつたのは、お前に避けられるのがいやだったんだ。好きな人に避けられるのは、結構きついからな」

 奨武の言葉に、流成はうなずいてしまいそうだった。

「私は………」

「うまくいつてる東原との仲を壊そうなんて思ってない。なんて言ったら嘘になるけどな」

 なにかを言いかける流成をことごとく遮って、奨武は続けた。

「お前が幸せなら、俺がどうこう言ったってどうしようもない だろ? 幸せじゃないなら、なんとしてでも俺に向かせるけどな。でも、いま東原と恋人同志なら………」

「そんなんじゃない!! 私と東原涼太は………あ、すみません」

 声を荒げた自分をとても吃驚したような目で見る奨武に、流成は苦笑を返した。

「そんなんじゃないんですよ、本当に」

 自分を好きだという奨武に、涼太とは体だけの関係なんだと言えなかった。

 言って鎚ることができたら、少しはこの重たい情念が軽くなるかと思ったが、そんなことは絶対言えないことだった。

 もう後戻りなんてできないとこまで、この恋情はきてしまっている。

 奨武が自分に対して抱いているきれいな感情とは、ぜんぜん次元の違う想い捕われてしまっている自分を、もう誰も救うことなどできない。

 だけれど、胸に浮かんでしまった。悪意。

「……………月城さんを頼ってもいいですか? 好きだって言ってくれたことに、甘えるみたいだけど」

「いいよ! どんどん頼ってくれよ」

 そう言って嬉しそうにした奨武に、胸は痛んだけれど。

「今年の新入生に、とても寮風を乱されて困ってるんです。もう私の手におえなくて」

 息が止まりそうになる。

 自分がしようとしていることに、嫌気が差す。

 だけど流成は、その悪意を実行した。まっすぐな奨武の愛情を利用して。

「外部からの入学生なんです。大人しそうな外見で判断してしまったけれど、中身は違った」

 流成は机の上にあったファイルに手を伸ばすと、中をパラパラめくってあるページを開いて机の上に広げた。

「華南康久………この生徒です」

 新入生名簿の写真を、流成は瞳を伏せて指差した。

 


第二部
【泣かない夜の雨の匂い】