【泣かない夜の雨の匂い】
日の当たる場所。そこだけは、学園の中でも世界が違うような、特別な空気が流れていた。 「今日はご機嫌だね。こんにちは、遅くなってごめんね」 陽の差す中庭にたたずんだガラス張りの小さな建物、温室。 一株一株に声をかけ、水をやる。 特に当番制はないものの、自然と朝夕の水遣りの役割は決まっていた。 華南康久は、水曜日と木曜日の放課後に水をやることが多い。 植物は話し掛けてやるとちゃんと応えるものだと教えられ、それを実行していた。 「今日は誰も来んのやろか」 腕の時計を確かめるために、康久は持っていたジョーロを花の脇に置いた。 五時限目の授業とHRが終わって、もう一時間になる。 いつもなら、部長か副部長が一度は顔を出してゆくのに。 涼太が部活にでも入ったらと薦めるので、康久はこの「園芸部」を選んだ。 一人で校内を散歩して見つけた澄んだ空気の在る場所。 別に部員でなくても立ち入りは許されているのだが、部員ならばもっと花たちと触れ合える。 涼太は園芸部に入りたいと言ったとき、「そうか」と笑っただけだった。 その静かな微笑を、康久は涼太の承諾だと受けた。 たまには涼太も顔を出す。涼太もここを好きだと言った。 康久は、それならもっと気合入れて花を育てようと思う。 涼太が好きだという場所を、守りたい。育てたい。 もう一度時計を確かめて、康久は置いたジョーロをまた手に持つ。 ひととおり水撒きはした。誰もこないのなら、寮に戻るつもりだった。 が、外でカタリと物音がした気がして、康久は温室から外へと出た。 入り口の水場に、自分の上着をかけてある。いると思った人影はなかった。 「気のせいやったんかな………帰ろう」 すこしがっかりしながら、出した道具をかたずけた。 涼太は今日、バンドの練習があって帰りが門限近くなる。寮で本でも読んでいれば時間は潰せると、康久は誰かと会うことをあきらめた。 グランドに行けば尚弥たちがいるが、練習を邪魔するつもりはなかった。 「待て!」 かけてあった上着を手にとろうとしたとき、鋭い声が響いて康久は首をすくめた。 「な、なんですか?」 声のしたほうを振り返ると、肌黒い背の高い生徒が立っていた。 康久でも顔だけは知っている、生徒会の生徒だ。 「お前、喫煙してただろ」 ツカツカと寄ってきて、康久には思いもしなかったことを言う。 「えっ!? あの、そんなことして………」 「この匂い、気づかないとでも思うか? チクショウ。もう少し早かったら、現場を押さえられたのに」 康久の言葉など聞かない態度で、顔をしかめた。 「知らないかも知れないが、俺は月城奨武、生徒会では副会長だ」 堂々としていて、迫力がある。康久は気後れして、なにも言えなかった。 タバコの匂いがしているのか、本当にわからなかった。 いままで温室の花の匂いにまみれていて、嗅覚が鈍っている。 「黙ってないでなんとか言えよ。とぼけて通すつもりか?」 「そ、そんな………」 青ざめた表情で首を振るが、奨武まだ自分を疑っていることは康久にもわかった。 「その上着………かせっ」 持っていた康久の上着を乱暴に引っ手繰ると、奨武は胸ポケットをまさぐる。 そして予想通りのものを確認して、出してみせた。 「コレはなんだ?」 「あっ…………………………」 赤い箱。見覚えが康久にはあった。 自分が吸っていたのでは、もちろんない。 涼太が持っていたのを、ずいぶん前に見た事がある銘柄だった。 「お前のなんだろ?」 「あ、あの……………」 違うとも、そうだとも言えなかった。 なぜそんなタバコが自分の制服のポケットに入ってたのかわからないが、もし涼太のだったらと思うと。 だがこのままだと自分のものとされて、退学なんてことになったらせっかく両親と涼太を説き伏せたわがままが無駄になってしまう。 入学してすぐ退学なんてことになったら、もう二度と両親も涼太も自分のわがままを許してはくれないだろう。 涼太がいつもそばにいる、夢だった生活が終わる。 泣きたくなったが、ここで泣いてしまったら認めることのような気がして康久は必死で唇を噛み締めた。 「まぁいいさ。ちょっと生徒会室まで来てもらおう」 「え? あの………痛っ」 握られた手首が痛くて、康久は身体を小さくした。 奨武の強引さが恐かった。 自分の周りはいないタイプ。 「どうした? 華南………」 「遠藤さん!」 誰か助けて欲しいと、強く思っていた。 そんなときに遠藤隆魅が現れて、康久のこらえていたものが目からこぼれる。 「遠藤? なんだ知り合いなのか?」 「知り合いだよ。なにごと?」 奨武が康久の手を放すと、隆魅は康久と奨武の間に入って康久を自分の後ろにかばった。 そんな姿をみて、奨武の眉間のしわが深くなる。 「庇うなよ。俺が悪者みたいだろ。タバコ吸ってたのは華南だ」 「タバコ? 吸ってるところをみたのか?」 一度康久を振り返った隆魅は、その瞳を見てもう一度奨武に向き直った。 「いや………現場は押さえられなかったが、持ってたんだよ。このタバコを」 「そんなの、誰かが故意に入れたんだろ。華南はタバコを吸わない。俺が保証する」 「遠藤さん………」 明らかに自分を庇って前に立つ背中に、康久は心から感謝した。 隆魅がいなかったら、自分だけじゃなにも言えずにどうなっていたかわからない。 「なにやってんだ、泰久」 「たっちゃん! 青葉さん」 次々と顔を出した面子に、奨武のほうの分が一気に悪くなる。 奨武は聞こえないように舌打ちした。 まるで取り囲むように康久を庇われては、強引に生徒会に連れて行く事もかなわない。 「わかった。今日は引くけど、名前は覚えたからな」 お手上げのポーズをとると、奨武はきびすを返す。 華南康久────────────流成の言った通り、見た目は大人しそうな生徒だった。 だが、絶対あのタバコに心当たりは在る。そんな素振りだった。 赤い箱を見たときのあの表情。それは確信だ。 あの庇われようも納得できない。 きっと寮でも誰かに庇われて、それで流成が困っているのだろうと奨武は思った。 流成を困らせているということが、いちばん許せない。 「ちくしょう、次は絶対現場を押さえてやる」 奨武は悔しさに、手に持ったままの赤い箱を握りつぶした。 |
やっとsongsが前に進んだ〜って感じです。 2002.01.08 渡辺祥架 |