【刹那の瞬間、永遠の刻印】
いつになくだるい夏だった。 なにもやる気が起きないような、そんな身体が苛立たしかった。 でも夏休みには康久にとって特別。 今年は裏にある東原本家の血縁、東原兄弟そろって来ている。 長兄恵(けい)に次男涼太。そして、やんちゃな盛りの末っ子霞(かすみ)。 とても優しくて滅多なことでは怒らない、いつも笑顔の恵、二十二歳。 いつでも康久の側で、自分の望むことを叶えてくれる涼太、十一歳。 その涼太にべったりで、涼太になりたがる霞、八歳。 長期の休みにしか逢えない、康久にとってはただ一人の友達涼太。 少々だるいからといつて、家でおとなしくなんてしていられない。 最近よく鼻血を出すけど、そんなことは黙っているにこしたことはない。 そんなことを言えば「外出禁止命」が出ることがわかってる。 だから泰久は、体調不良を隠した。 無理を押してでも、健康を装ってでも遊びに出てしまうのは、小学校五年なら当然だろう。遊びたい盛りなのだから。 お目付け役のような恵は、駆出しの日本画家という職業柄、自然には富んでる美しい伊勢志摩を描き残そうと、ほとんビ宿泊している本家には帰らない。 もし恵がいつものように涼太たちの側にいたなら、その夏は特別な夏ではなく、ただの楽しい思い出の夏になっていたかもしれない。 すべてがこの夏から変わった。 「やだー! 俺も行く!!」 「ダメだ。カズはまだ小さいから、恵ちゃんがいるときにしろ」 何度も弟の霞にダメだと言っているのに、霞は涼太たちと一緒に伊勢参りがしたいと駄々をこねた。 はじめて来た伊勢で、伊勢神宮参りは当たり前だと言い張る。 もう三十分も押問答をして、結局は涼太の方が折れた。 「わかった」 溜め息ついたとき、迎えにくるはずの涼太ががなかなか来ないので東原家の裏に住んでる康久の方が本家に顔を出した。 「どうしたん? えらい遅いな思うて、僕の方が来ちゃったやん。どうかした?」 「………悪い。カズがどうしても一緒に行くってきかないから、今日はやめにしよう」 霞を軽く睨みながら、涼太はそう言った。 伊勢神宮に連れてってもらえないものの、取り敢えず一人とり残されることがなくなった霞は、フフンと鼻で笑っている。 涼太と康久の邪魔に入ることが、いまの霞の生き甲斐になりつつある。 もう毎年恒例になった夏の帰省についてきたがったのも、康久と涼太の邪魔に入るため。 大好きで尊敬しきってる涼太を、赤の他人に独り占めされるなんてのは幼い霞には許せなかった。 それでなくても、いつもここには連れてきてもらえなかった。 もう残されるのはいやだと、散々泣いて騒いで駄々をこねた霞だ。 「ええよ。神宮なんて、いつでも行けるやん。みんなで行ったほうが、楽しい思うし。ね」 涼太のTシャツのの裾をつかんで、自分に敵意劇出しにしてる霞に康久は笑いかける。 霞にとって康久は邪魔でも、康久にとって霞は決して邪魔ではない。 それどころか、霞がいてくれることで楽しさが倍以上に増えたような気がしていた。 「カズくんはなにがしたい? 今日はカズくんがしたいことしよう?」 自分よりもまだ背の低い霞の視線に合わせ屈むと、涼太の後ろに隠れている霞の顔を覗きこんだ。 どうも嫌われていると感じる。それが、涼太が自分にかまってしまうからだと、康久もわかっていた。 もっと打ち解けたい。もっと仲良くなりたいと、康久は願う。 「カズ、わがまま言うなよ」 「いいんだよ、わがまま言って。ね? カズくん」 『霞』と呼ばれることを嫌った。 女みたいな名前だと、いじめられもしたが霞自身もそう思っていて、そんな自分の名前が大嫌いだった。 それを回りも知っているから恵以外は、「カズ」と呼んでいて、康久も例外にもれない。 「昨日釣りがしたい言うてたやろ? 今日しはる?」 「康久、なんだか顔色悪いみたいだぜ」 今度は涼太が、康久の顔を覗き込む。 康久の顔色が、暗い玄関口にいるせいだけに思えなかった。 康久とはじめて逢った、あの日の顔色と似ている。 空色の帽子を被った康久が、真っ青な顔色で道に座り込んでいた日の。 「やめようぜ、今日は………」 「ええっ! やだっ! 今日は俺のすることしてくれるって言ったじゃんか。それもたったいま! 嘘だったのかっ!?」 涼太の言葉に、泣いて怒鳴った霞。 幼いだけに、ただをこねだしたらキリがない。 なぜ遊びに行けないのか、自分が平気だから霞にはわからないのも仕方ない。 「僕は大丈夫だよ。ね、カズくん釣りの用意しといで。僕も道具用意してくるし」 「だけどっ」 「大丈夫。岩場の影やったら陽もそんな当たらんし、帽子も被るし」 すっかり行く気の康久に、最後には涼太も折れた。 霞のわがままと、康久の強情に自分は勝てない。そんなことは前々からわかっていたことだ。 「具合悪くなったら、すぐ言えよ」 「うん」 恵ほど自分に権威がないのが涼太には悔しかったが、当の康久がこんなに大丈夫だと念を押したのだから、本当に大丈夫なのだろう。 嫌な予感がするのは気のせいだと、涼太は自分に言い聞かせた。 笑う康久はいつもと変わらない。 あとで具合が悪いと判断したら、今度は引きずってでも帰ろう。 そう決めて、涼太も釣りの支度にとりかかった。 うさぎの浜の防波堤の端と端に座り、涼太と霞はのんびりと糸をたれている。 康久はそんな二人の間を行ったり来たりして、バケツの水を換えてやったり餌を調達したり。 「カラス貝じゃ駄目みたいやね。牡螺の方が釣れるかもしれんなあ」 釣りは今日が初体験の霞は、涼太みたいに魚が餌をくわえたと同時に竿を引くテクニックを持っていない。 餌を取られてしまうまでじっとしてるから、石ダイやチヌどころか、フグやハゼさえも釣れない。 「つまんない」 ただ海に糸をたらしているだけでは、誰だってつまらないだろうが、霞にはまだ早かったのかもしれない。 「あきてしもうた? 待ってて、餌かえたら釣れるかもしらん」 「ホントか?」 「うん。ここにあるカラス貝潰して撒いちゃって、そしたらそれに魚がよってくるよし。ここなら魚も見えるし、見えるなら釣れるやろ? 餌街えたな思うたら、さっと引けばいいから」 すねたように足をぷらぷらさせる霞に、康久は微笑んだ。 釣具店に行ってちゃんとした餌を買ってくればいいのだが、岩場に無数にいるカラス貝でも魚は釣れるので、あそび程度のなら餌はそんな貝たちですませてしまう。 霞には買って用意してあげればよかったと、康久は岩場にいる牡嘱を探しながら思った。 なんでも適当にできる涼太と、どこか不器用な霞を一緒に考えていた。 「やっぱカラス貝じゃ駄目か?」 「カズくん初めてだから」 いつのまにか自分の後ろにきてた涼太を、康久は振り返った。 「顔色、悪いな」 「そう? 僕はなんともないけど」 ずいと自分の顔を覗きんだ涼太をこれ以上心配させないように、康久は笑った。 本当はさっきから軽い目眩がする。 今朝がた、鼻血を出したから貧血気味になってるのだろう。康久はそう自分で答えを出していた。 立ちくらみならいつものこと。血が薄い分人より貧血になりやすいだけ。そう言い聞かせた。 気持ち悪いと感じるのも、貧血のせいなんだと。 「なあ、涼ちゃんの方はどうなん? 今日のおかずぐらいにはなるやろか」 「おかずにはどうかな。カズは釣れても小鯵だろ? 俺んとこはいまシマあじが二匹とカワハギが三匹」 「じゅうぶんよ」 自分の代わりにちょつと危ない岩陰についてる牡嘱を獲ってくれる涼太を、瞳を細めて見つめた。 その涼太の一肩越しには、カラス貝を足で潰して自分の足元の海に投げ込んでいる霞。 夏の、ほんの一瞬だけの夢のようなとき。 涼太がいるだけで特別な時間になれるのに、今年は霞もいる。 康久には、それがとても贅沢な時間に思えた。 だから、大切に。1分一秒を無駄にしたくなかった。 具合が悪いという理由だけでは、譲れなかった。 「こんだけあればいいだろ?」 「うん。ありがとう」 ごつごつとした岩牡螺を数個を康久に手渡して、涼太はまた自分の釣り場所へと戻っていった。 「魚集まってきた?」 牡嘱とナイフを持って霞のところに戻ると、康久は楽しそうに水面をみてる霞を真似して一緒に海を覗き込む。 真水にも思えるほど透明な水面に、魚の影がチラチラと舞っていた。 こんな浅瀬じや大きい魚はめったにいない、だが逆に小さい魚なら、ちょっと餌になるようなものを撒くだけですぐ集まる。 小鯵やフグに交じって、小さいながらもカワハぎも見えた。 「待っててや」 ちょっと不器用に牡嘱の間にナイフを入れて、康久は牡螺の中身を取り出した。 このくらいなら、子供のときからやっているので康久にもできる。涼太よりも上手いぐらいだ。 「このとダヒダのとこを針に巻き付けて、あとは潰して撒けばいいし」 見本を見せるように針に牡螺を巻き付けて、はいと霞に手渡した。 「兄貴となに話してたんだよ」 「涼ちゃんと? どれぐらい釣れたかってだけだよ。どうして?」 いきなりなにを言いだしたのかと、康久は笑った。 「べ、べつにっ」 ぽちゃんと牡螺を投げ込むと、あっという間に魚が群がってさらってゆく。 「俺、わがまま通しちゃったけど大丈夫? 顔色、ホントよくないみたい」 「………大丈夫よ。ごめんな、カズくんにまで心配かけさして。ありがとう」 「だ、大丈夫ならいいけビ」 心配してるのがばれて恥ずかしいというように、ふいと霞は康久から視線を背けた。 霞はわがままな分、よけいに可愛い。 涼太と自分の仲に嫉妬して、なにかと突っ掛かってきても、それさえも可愛く感じてしまう。 涼太が自分になんでもしてくれるように、康久は霞になんでもしてあげたかった。 もとより、霞の兄である涼太を自分は独り占めにしている。そんな思いもあったから。 「ちょっとでも引いたらあげ………痛っ!」 霞のために牡螺を開けていた康久。開け方のコツはつかんでいたつもりだったが、霞が釣り糸を海に投げ込んだのを見届けながらだったため、牡螺の殻で左の薬指を切ってしまった。 「切ったの!?」 康久の声にびっくりした霞が慌てる。 「大丈夫。ちょっと切っただやし」 「だけど、その血……………」 右手で左手を包み込むように隠した際間から、血が滴っていた。 鋭利な刃物じやない分、傷口が痛む。 だけど大袈裟に騒ぎ立てて、霞にも、涼太にも心配かけたくない。迷惑かけたくない。 こんな痛みなんて、我慢できる。 「ちょっと洗ってくるね。カズくんはそのまま釣ってていいよ」 自分でもびっくりするぐらいの出血に、康久は堤防から少し離れた波打ち際に下りて傷口を洗った。 「痛っ……………」 手を海に浸すと、ぱぁーっと血が海水に広がる。 塩水が傷口に染み込むようで、ズキズキと痛んだ。 「どうしよう………」 康久が思っていたより、傷は深そうだった。 傷口を洗っても、ハンカチで拭いても、血があとからあとからあふれてくる。 「指切ったって?」 パシャバシャと水音がして、涼太がかけてくる。防波堤では、霞が心配そうにふたりをを見ていた。 「大丈夫、大したことあらへん」 「血、ずいぶん出てるな。家帰って消毒した方がいい」 「え? でも………」 「もうカズも満足したし、釣りは明日もできるよ」 「だけど」 まだなにかを言い掛けた康久を遮って、涼太は霞に「帰るぞ」と声をかけた。 「ごめんね」 泣きそうな康久に、涼太はぽんと頭の上に手をおいて笑った。 「明日は、今日の倍釣ろうぜ」 「涼ちゃん………」 大好き。 涼太の優しさに、この笑顔に、胸がきゅーんと痛くなる。 「明日は伊勢神宮に行けたらええな。恵さんに車出してもろうて」 「ああ」 自分の体が強かったら、せめて普通の生活をおくれるくらいであれば、親に頼み込んで涼太のいる東京で暮らしたかった。 もっとずっと、休みの間だけじゃなく涼太といたいのに、それが叶わない。 「明日、また明日遊ぼう」 楽しかった時間を自分の不注意でつぶしてしまったことを、康久はとても悔やんでいた。 なんでこんなに血が出るのか、恨めしい左手を見つめながら。 血はとまらなかった。 家に帰って消毒をしても、包帯で止血しても、一時的に止まるだけでしばらくするとまたあふれてくる。 車を飛ばして病院に駆け込んだのは、極度の貧血に康久の意識がはっきりしなくなりだした頃だった。 涼太がそのことを聞いたのは真夜中過ぎ。 午前一時を回った頃、夜遅くに帰ってきた恵が、寝ていた涼太だけを起こした。 「なんだよ………?」 人に起こされることが嫌いな涼太は、突然の安眠妨害に不機嫌な眠い目をこすった。 「出掛ける支度をしなさい。霞はそのままでいいから」 「え? なんで? どっかいくのか?」 「康久くんが病院で、涼太を呼んでるらしいんだよ。うわごとで」 そこまで聞いて、やっと涼太の目が覚めた。 隣に寝てる霞を起こさないように黙って着替え、素早く出掛ける支度すませる。 恵の運転する車でその病院まで急ぐ。 車の中で、涼太は康久の容体を聞いた。 切った指の出血がとまらず、極度の貧血で予断を許さないこと。 輸血の血液も足りず、いま他の病院から緊急輸送してもらっているが、近くに病院がないために時間がかかること。 何より、康久に体カがないこと。 すべてが悪い方向へ向かっている。 案内された病室は「集中治療室」で、医者や看護婦が忙しく出入りしていた。 閉められたカーテンの際間から、いろんな機械を体に付けられた康久が見える。 ベッドの横には康久の両親がいて、父親は真っ青な顔で、母親は泣きながら我が子を見守っていた。 それを見た涼太は、まるで心臓をひとつかみされたみたいな感覚を覚えた。 「俺の血つかってよ! 俺A型だから! 一緒だからっ!!」 ちょうど出てきた医者にすがりついて叫んでいた。 「涼太っ」 めったに自分の感情を表に出さない弟が、こんなに感情的な行動に走っているのに恵は少し驚いていた。 「落ち着きなさい。いますぐどうこうというわけじやないから」 「恵ちやんもA型だろ? 康久にやってくれよ。血、足んないんだろ? 頼むよぉ」 医者から引き剥がされて、今度は恵に涼太は縋る。 「私たち二人ともA型ですので、必要ならばいくらでも採ってください」 泣かない涼太が自分に縋って泣くのを、少し複雑な思いで抱きしめる。 康久のことなら、こんな姿を見せるのかと。 「本来なら色々と手続きが大変なんですが、事が急を要するだけにこちらからお願いしたいところでした。助かります。じゃ、こちらへ」 銀縁の眼鏡をかけたいかにも「医者」らしい医者は、恵と涼太を康久のいる隣の部屋へと促した。 「神崎くん、この方たちが血液を提供してくれるそうだ。患者とも知り合いらしいから、問題もないだろう。一応採血して患者と適合するか調べて。それから、ご両親に説明するから、隣 へ来てもらえ」 カルテに目を通しながら、医者は近くにいた看護婦にそう指示した。 その指示を受けた看護婦は、急いで採血の準備をして涼太と恵を並んで椅子に座らせた。 「左腕をまくって出してください。あれ? あなた歳は?」 Tシャツにジーンズ。きっちり、シャツ麻のズボンを着込んでる恵と並ぶと、涼太はひどく幼く見えた。 「十六です」 涼太はとっさにそう答えていた。 献血は十六歳からだと知ってた。事が緊急を要しても、十一歳のだとわかったら献血を断られるかもしれないと危惧してだ。 ばれるのを覚悟で涼太は五つも歳を偽った。 「若く見えるわなあ」 そう言って笑った看護婦に、恵はなにも言わなかった。 涼太がそう望んでるなら、そうさせてやるのが保護者だ。 別に死ぬまで血を抜くわけじやない。せいぜい抜いて四、五百だと判断していた。 東原家の教育方針は、「人の迷惑」と「命にかかわる」こと以外は本人の好きにさせる。 そうやって恵は霞と涼末を育ててきたのだ。 「はい、二人ともA型やね。じゃ、あなたの方から採りますよって………様子をみて、君に頼むわ」 看護婦はまず恵に言って、そして涼太を振り返った。 自分から先にとってくれと言いかけて、涼太はその言葉を飲みこんだ。 いままここでそんなことで揉めても、康久のためにはならない。 「じゃ、こちらへ。多少痛かったりするけど、ほんとにいいんですね?」 念を押した看護婦に、涼太は「はい」と静かに答えた。 なんの迷いなんてない。自分の血をぜんぶあげてもいい。 その時の涼太はそう思っていた。 痛みなんて、康久がいま受けている苦しみからしたら足元にも及ばない。むしろ、痛いほうがいいぐらいだった。 恵から輸血を受けた段階で、まだ康久の傷は塞がらない。 一度に他人の血を身体に入れるとショック状態になるので、涼太の血をすぐというわけには行かなかったが、状態は少しだけ良くなった。 「ありがとうございます」 康久の親は恵と涼太に頭を下げた。 「華南さん、ちょっとお話があるのでもう一度こちらへ」 康久の担当医が、神妙な顔つきで康久の両親を別室へと連れてゆく。嫌な空気が流れた。 恵は直感でその話が悪い話だとわかった。そして涼太も。 「恵ちゃん……………」 ベッドの上で苦しんでる康久をみながら、涼太は恵の名前を呼んだ。 恵は寝ていたベッドから起き上がって涼太の頭を抱えると、自分の胸に押し当てる。 「希望をもちなさい。おまえが康久くんを信じてやらないでどうする。ほら、あんなにお前のことを呼んでるのに」 「涼ちゃん………」 「康久!」 擦れた、自分を呼ぶ声に涼太は弾かれた。 ここにいると、扉一枚を挟んだだけで側にいると、聞こえるかわからないがガラスを叩く。 「涼ちゃん」 ない意識で、はっきりと涼太の名前を呼ぶ。 「ここにいるから………ここにいるからっ! 康久っ」 「血圧が低下してます。次の輸血いきますっ」 「俺のを!」 「ここに寝て」 涼太が、康久のすぐ横のベッドに呼ばれる。 涼太は開ききらない扉を押し開けて、康久のもとに駆けつけた。 「はい手握って………ちょっと痛いかもしらんけど、がまんして。はい、手を開いたり握ったりしてね。気持ち獰なったら、すぐ言ってや」 白っぽい透明な管が、涼太の血の流れで一瞬に赤い管に変わる。 「目眩がするようだったらすぐ言うてな。無理はせんといて。大丈夫。私もA型や。奇跡はあるから心配せんといて」 そう言って笑った女医に、涼太は少し救われた気がした。 恵の言う通り、自分が希望を持たなかったら駄目なのだ。 みんな必死で康久を助けようとしてる。 大丈夫。こんなにみんなで願ってる。康久が助かることを。 神様がいるなら、この願いはきっと聞きとげられると。 「涼ちゃん………」 「康久?」 目を閉じて、深い深呼吸を繰り返していた涼太。康久の声に、ゆっくりと目を開けて隣のベッドを見た。 「あったかいね、涼ちゃんの血は………ありがとう」 「やす………」 「神崎さん、大塚先生に患者の意識が戻ったと伝えて」 血圧計と康久の顔を交互に見比べて、女医はホッと息をついた。 「落ちついたね。血圧も六十台になったし、傷も塞がったみたいやし」 涼太の腕から太い針を引き抜き、女医は笑ってくれた。 「君が、この子の奇跡やね」 『再生不良性貧血』 数日後の精密検査の結果、康久の病名が解った。 白血病 華商康久、十歳の夏に発病。 |