【星降る夜、この天の星はすべて君のため】
「駄目だ! お前がついてて、なんでそんなことになるんだ? 絶対許すな」 電話線で繋がってはいるものの、海を越えている相手に思いっきり怒鳴った。 「俺がついてるなんてよく言うな? どっかのバカが康久を置いてそんなところにいるからだろ。俺に怒鳴るのは筋違いだ」 冷静に返され、もっと頭に血が上る。 「俺は反対だからな」 それでもなんとか怒りを押し殺した。 コイツ相手に悪態を晒すのが、なにより嫌だ。 「反対って言ったって、もう手続きなんか終わらせちまってるぜ。さすが俺、教えてやった予想問題が的中して好成績での合格だ」 ふふん、と、電話の向こうでせせら笑っている顔が目に浮かぶ。 「なにがさすがだ、バカ! アイツはもともと頭がよかったんだよ。お前のおかげだなんて甚だしい」 休みがちな学校でも、義務教育の間ならば成績がよければ進級はなんとかなる。 だから、俺がしっかりみてきたんだ。 アイツもがんばってついてきた。そのおかげだ。 けして、バカなお前の功労ではない。 「帰ったら覚えてろよ。和樹をお前に紹介した恩を忘れやがって」 嫌がらせの意味をこめて、思いっきり電話を叩ききってやった。 「起澄句の野郎………」 図体ばかりでかくて大食漢。寝起きの悪さは世界一。愛想はないが常識もない。その上嫉妬魔人ときてる、イトコという繋がりがなければ知り合いたくなかった男。 「ったく、絶対仕返ししてやるからな」 あと一週間はまだこっちにいるつもりだったが、即ネットで日本行きのチケットを予約した。 「涼ちゃん!」 「なに考えてんだよ!」 笑顔でかけてくる懐かしい顔に、開口一番そう怒鳴ってしまった。 成田空港、午後二時三十分。 出迎えと見送りでごった返す春休み、その場にいたほとんどの人が俺を振り返った。 「涼ちゃん、そんな大きい声出したらあかん。みんなビックリするやんか」 懐かしい声。懐かしい訛り。変わっていない笑顔にホッとするけど、機上で寝ずに起澄句への嫌がらせの方法を考えていた俺は素直に「ただいま」と笑えなくなっていた。 「誰から聞いたんだ? この便で帰ること」 迎えになんて来なくていいように、康久には黙っていたのに。 「カズくん」 にこにこと、怒鳴られたことをちっとも気にとめていないような康久に、もうなにを言っても無駄だということはわかっていた。 ほんわかとした言動に似合わず、康久は強情なところがある。自分で決めてしまったことは、譲らない性格だ。 「カズくんがね、こっそり教えてくれたん。カズくんやたっちゃんにはエライ世話になってしもうた。手続きとか勉強とか、いろいろ親身になってくれたんよ」 弟まで荷担していたと知って、俺は驚いた。 霞は昔から俺にべったりで、俺が康久にかまうのをよしとしていないところがあったのに。 俺が日本にいない間に、仲良くなったのだろうか。 「ここでとやかく言っても仕方ねーか。ったく、さ、家帰ろうぜ」 「うん。カズくんも恵さんも、車で待ってる」 重たい荷物を担ぎ上げると、康久は改めてにっこり微笑んだ。 「お帰り、涼ちゃん」 「……………ただいま」 康久の夢を、俺が叶えてやりたいと思っている以上、康久の望に俺は逆らえない。 いつも隣でこうして笑っていて欲しい。 怒りながらも、やっぱり隣にいてくれるこのぬくもりには勝てないと、自分がいちばん知っている。 「行くか………なんか美味い寿司でも食って帰ろうぜ」 甘いのは、康久になのか自分になのか、わからなかった。
「そんなバカに餌やることないぞ。ぜんぶ自分で食え」 入学式も、入寮式も終わった。今日から平常授業で、俺たちは自分の教室で飯を食っていた。 そこに起澄句のバカが、「なんで俺だけ違う校舎なんだ!」と文句タラタラで乗り込んできて、本当にウザイったらない。 起澄句だけ、違う校舎。 友達の青葉和樹も、その幼馴染の遠藤隆魅も、後輩の仲のいいやつらも、みんな俺や康久と同じ校舎だった。 別に仕組んだわけではないが、あのデカイだけのバカが目にはいることが少ないという事実を俺は素直に喜んでいたのに、この分だと昼休みはおろか休み時間ごとにここに顔を出しそうな勢いだ。 その上、自分の弁当を平らげてまだ足りないと、康久の弁当まで手を伸ばすいぎたなさが腹立たしい。 「なんだよ、なに睨んでんだよ。こわかねーよ、お前に睨まれたって」 だいたい、鼻水たらしてる頃から知ってるんだ。お前なんて気が小さいはったりだけの身体しか持ってないやつ、恐いと思ったこともない。 「隆ちゃんたち、このままここで食べててよ。俺ら、ちょっと食堂でなんか食べてくるよ」 見かねた和樹が、ため息混じりに席を立つ。 ったく、世話のかかる………和樹も和樹で、よくあんなのと付き合っていられる。 俺なんて、そばにいると思うだけでうっとうしい。 「たっちゃん、ほんとによく食べるよね」 「人のことはいいから、にんじん残すな。好き嫌いしてんじゃねーよ」 隙あらば残そうと、弁当箱の蓋の陰ににんじんを寄せているのを、俺はちゃんと見ていた。 「………だって、酢豚のにんじんは特に嫌いなん。今日のはなんか半生って言うか、口の中でしゃりって………」 「素材の味が生きててけっこう。残すなよ。残したら、俺の分まで康久の口に詰め込むからな」 涙目でお願いされたところで、許しはしない。 「なんか、東原さんて厳しい愛ですね」 「ナオくんもそう思うやろ? 厳しいよなぁ、涼ちゃんて」 厳しい? どこが? 俺がこんなに優しく扱うのは、世界中でただ一人、康久だけだ。 「あ、そうだ」 笑って俺と康久のやり取りを見ていた魚済が、なにかを思い出したように声を上げた。 「昨日、兄貴が家に顔出したから、頼んでおきましたよ」 「お、本当か? で、どうだ、取れそうか?」 思わぬ朗報に、俺は身体を乗り出した。 「えぇ。ついでに、俺らの分も頼んじゃいました。関係者席だと乗れないだろうから、ちゃんと一般席の前のほう確保してくれるって」 「うそだろ!?」 やっぱり頼んでみるものだな。 魚済が、今日本でいちばん売れているバンドのメンバーの一人を兄貴にもってると聞いたときには、しめた! と正直思った。 ファンクラブに入っていたってチケットが取れないというバンドだ。 そりゃ金を積めば手に入るだろうが、連番ともなるといくらになるんだか。 駄目モトでこの間頼んでおいて、正解だったな。 「悪かったな。なんか、礼はするから」 「いいっすよ。唯那も頼んでたし、兄貴の腹だってどうせ痛まないんだし。隆魅先輩も行きません? 青葉先輩も誘って」 魚済の言葉に、遠藤さんがにっこり笑う。 言葉の裏を、きっと覚ってるんだろう。 起澄句ひとり、その輪には入っていない。ザマーミロ。 「前に頼んだときは、五列目かなんかだったけど」 「すげーな、俺は一階席とるのだって苦労したのに」 持つべきものは、関係者。音楽業界なんて、横の繋がりがいちばん強いところだからな。 「涼ちゃんの苦労って、女の子に頼む苦労なんよね。前に言うてたやん」 ちらっと冷たい視線を康久に投げられたが、責めてるわけじゃないみたいだ。 「康久だって厳しい愛だね。東原さんにそんな口きけるの、きっとお前だけだよ」 「大袈裟やね、ナオは」 幸せそうに、康久が笑っている。 同じ歳の友達が、初めてできたんだと康久が嬉しそうに言っていた。 青葉にも、遠藤さんにも目をかけてもらって、ぶっきらぼうだが起澄句も起澄句なりに康久を思ってはくれている。 どんなに乞おうとも、伊勢では手に入れられなかったこのがここには揃っているのだろうか。 こんななんでもない光景、学生なら当たり前なのに。 守りたい。 ここが康久の幸せの在る場所なら、誰かを傷つけてでも守ってやりたい。 康久の代わりは誰もなりえないから、なにをしてでも護りたかった。
「ドームのなかて、花火つこうてもよかったんやね」 まだ冷めない興奮に、少し高揚している顔で康久ははしゃいでいた。 東京ドーム、アリーナの五列目ど真ん中なんて特等席には、俺も大満足だった。 ライブが終わった後には楽屋まで入れてもらい、サインやドラムのスティックなんてものまで貰ってきてしまった。 魚済がメンバーの身内ってことがなかったら、こんな待遇金積んだって難しい。 「ちょっと寂しいな。さっきまであんなにいたのに、一人、また一人って電車降りて別れてもうて………」 流れる窓の外を見て、康久がつぶやいた。 祭りのあと。そう感じているのかもしれない。 でも、俺はまだ「祭り」を終わらせるつもりはなかった。 せっかく外泊許可が下りて、今夜は遅くまで遊べるんだ。このまま帰ったのではもったいない。 「さ、降りるぞ」 山の手が池袋に滑り込んで、ゆっくりと減速してゆく。 「え? だってまだ、涼ちゃんちじゃ………」 「いいんだよ、ここで」 理由がわからないという顔をした康久の腕を、俺は引いて電車からおろした。 「どこ行くん?」 「サンシャイン」 「こんな時間に!?」 確かに、駅のホームに上がる人並みは多いけれど、それに逆らって階段を下りているのは俺たちぐらいだ。 この時間に外に出れば、終電には間に合わなくなる。 「いいから、黙ってついて来い」 手を繋ぎ、並んで歩く。 男二人でそんなことをしていても、特別奇異な視線が刺さってこないのは、東京のいいところだろうか。 康久は、俺がだまってろと言ったからだろうか、何も言わない。 でも、不機嫌ではないようだ。 ゆっくりと、いつもなら十五分で行くところを、倍の時間をかけた。 天は快晴で、優しい風が吹く。つきが、ネオンに負けないぐらい輝いていた。 久しぶりかもしれない。 康久が東京へ出てきて、一緒の部屋に暮らすようになっててから。こんなにゆっくりとした時間が二人の間に流れるのは。 部屋で二人きりの時でさえ、俺は小林流成を意識していた。 寮長のアイツは、点呼を理由に日に何度か顔を出す。 いつどこで流成が仕掛けてくるかと思うと、気が休まることがない。 康久といるのに、心を許せないない。 俺の聖域が、犯されようとしている。 「涼ちゃん、こんな時間にきても開いてないやろ? ビル見にきたん?」 「いや………」 そろそろ種を明かそうとしたとき、信号の向こうに康久が見つけた。 「カズくんと、恵さん!?」 アムラックスビルのとおりに面した入り口に、霞と恵ちゃんと待ち合わせていた。 「待たせたかな?」 霞の膨れた顔を見ると、少し待たせたようだ。 「遅いよ! だから俺も連れてけって言ったんだ!」 「しかたないだろ。お前の分のチケットは頼んでなかったんだから。ほら、土産」 機嫌が治るかわからないが、パンフの入った袋を差し出すと霞はやっとぶーたれ顔を引っ込めた。 「ご飯は?」 「食べました。ライブのあとで、みんなで」 「そ、楽しめたみたいだね。疲れてはない? いまからあれの上に行くけど、大丈夫?」 恵ちゃんは、にっこり微笑んでサンシャインの上空を指差した。 「えっ!? 階段で!?」 「まさか」 ビックリする康久を促して、サンシャインの裏口に回る。 「東原さんですね、聞いてますよ。どうぞ………」 警備の人に名前を言うと、すぐエレベーターへと通してくれた。 「恵ちゃんの知り合いにはいろんな人がいてさ、『夜の都会を独り占めしたい』と冗談をいったら、ここを貸しきってくれたんだと」 俺たちは、その冗談の便乗に過ぎない。 いつも思うけど、一体どんな人付き合いをしてるんだ? 恵ちゃんは。 「あ、耳がキーンてする」 微々たる重力を感じながら変わってゆく階数のデジタル表示をみていた。 ふっと身体が軽くなったと思ったら、エレベーターの扉が開く。 フロアの電気はつけられていて、目の前に東京の夜が広がっていた。 「わぁっ!」 大きな窓に張り付き、滅多に見れないこの空間に康久が感動する。 「涼ちゃん、あれは?」 座れるようになっている窓のふちに腰掛けて、康久が俺を振り返った。 「あれが新宿副都心。昼間なら、和樹の家のほうまで見える」 「へぇ〜、すごいなぁ。鵜方にはこんなとこないやん。スペイン村の気球だって、ここなんかよりずっと低いしなぁ」 高速を走る車のテールランプが蛍みたいだと、遠くのネオンの点滅が夜光虫みたいだと、街全体が夢のようだと。 無邪気すぎるぐらいに、なにも汚れていない瞳。それが、一瞬だけふと曇った。 「どうした?」 具合でも悪くなったのかと、康久の顔を覗き込む。 「寮の窓から空を見たときも思ったけど、ここには星がないねんな」 「星?」 「東京の夜には、星がない」 寂しそうにつぶやいて、康久はまた新宿の高層郡に目を移した。 「ネオンもきれいやけど、僕は星のが好き」 言われて、伊勢のあの星空を思い出す。 天の川、天体ショー。 いつだったか、康久は俺に降り注ぐ星を見せてくれたこともあった。 「懐かしいか? 伊勢が」 「懐かしい? うーん。懐かしいって言うか、僕の帰る場所って、結局あそこしかないやん。ここは涼ちゃんといられるだけの場所。好きも嫌いもない」 俺といられる場所だから、康久はここにいるのか? この汚い東京に、俺がいるからといてくれるのか? 「涼ちゃん、なんて顔してんの? ここの生活に慣れたら、『好き』って言えると思うよ。いやいやいるんやないよ?」 流成の事を知ったら、康久はこうして俺に笑いかけてくれるだろうか。 「幸せか?」 「涼ちゃん? どうしたん、いきなり」 今度は、康久のほうが心配げに俺の顔を覗き込む。 「あの明かりと、あの明かりを繋ぐと白い線になる。その線をひとつひとつ繋いだ先に、僕の未来と幸せがある。いまだって最高の幸せを実感してるけど、もっと欲張りになってもいいよね?」 遠いネオンをさして、康久はゆっくりとした動作で見えないラインを結んだ。 俺の目には、本当に白いラインが繋いだような気がした。 「僕の未来はね、涼ちゃんが存在してはじめて成り立つ。夢は、涼ちゃんが居てる場所に在るんよ」 俺がいたから、いまの自分があるんだと康久は言った。 俺と出逢っていなければ、自分もいないような気がすると。 「涼ちゃん、泣きそうな顔してる。なんで?」 「そうか? ちょっと感動したな」 お前の言葉に。 そっくりそのまま返してやるよ。 康久がいるから、いまの俺はいるんだ。 「変な涼ちゃん。でも涼ちゃん、自然なものには感動するしな、昔から。伊勢でもそうだったやん。些細なことにいちいち驚いたり」 些細だと言い切れるのは、それは康久が伊勢で育ったからだ。 なんでも簡単に手に入るようなここでは、実はなにも手に入らない。 夢が叶うと称される街。でも本当は、夢を失くしてしまうことのほうが多いところだ。 俺はここで、康久まで失くしてしまうのではないかと怯えてる。 アイツがすべて壊してしまいそうな胸の不安は、誰にもいえない。 俺の胸のうち、俺の想いこどと隠してしまおう。 康久を愛していると、いつか言えるくる日がきたら、そのときにはちゃんと言葉にするから。 「いつまで同じとこ見てんだよ。あっちだって綺麗だぜ」 霞が、一人で見てまわるのに飽きてこっちへ来た。 「康久、霞と回ってこいよ。おれ、少しここで休んでるから」 「大丈夫?」 「あぁ」 霞に目配せして、一人になれるようにした。 「愛してる………か」 いまつぶやいた言葉を、本当に康久に言える日なんて来るのだろうか。 康久が本当の恋愛を経験して、俺を卒業するとき。 恋愛に憧れて、いつかの夏のように俺とキスをかわすのじゃなく。 「涼太、どうした」 「恵ちゃん……………」 こんなとき、恵ちゃんと話すのは苦手だ。 恵ちゃんには隠し事ができない。したとしても、すぐ覚られてしまう。 俺がどんな精神状態で、まさか流成のことまでは覚られたりしないだろうけど、どんな気持ちで康久といるのかを恵ちゃんはもう知っているみたいだ。 「涼太、お前………」 「わかってる。いまはなにも言わないでくれよ。ちゃんとわかってるから」 なにか言われる前に、俺は恵ちゃんの言葉を遮った。 「そうか………なら、なにも言わない」 恵ちゃんは、まるで子供にするみたいにぽんぽんと俺の頭を叩いた。 「俺のことより、自分はどうなんだよ。ここ用意したの、恋人?」 「いや、違うよ」 話題が自分のことになったから、恵ちゃんが渋い顔になる。 「恋人じゃないなら、なに?」 「友達」 即答で帰ってきたけど、なんの見返りもなくこんなところが簡単に用意してくれる友達がいるのだろうか。 霞だって薄々気づいてる。恵ちゃんの恋愛遍歴。 男でも女でも、来るもの拒まず去るもの追わず。俺も人の子といえる立場じゃないけれど、俺があきれるんだから相当だ。 どの人が恋人で、どの人がただの友達かの区別がまずつかない。 いや、恵ちゃん自身がそんな線を引いているのかも怪しいものだ。 物腰が柔らかで優しいから、女にモテる。付き合いがよくて控えめで綺麗だから、男にもモテる。我兄ながら、天性のフェミニストだ。 「恵ちゃんもそろそろ、結婚とかしないの?」 自分で聞いておいて、相手は誰だかの見当もつかないけど。 「紫緒乃さんが仕事をやめて家に入るか、霞が成人するまでは結婚なんてしないつもりだよ」 「ずいぶんとまた、先の話だね」 「そうだな」 自分のことなのに、まるで他人事みたいな口調で言う。 霞の成人まであと八年。あの母親はきっと死ぬまで仕事をやめないだろうから、恵ちゃんが結婚できるまでにはまだ大分ある。 「そんなのん気なこと言ってないで、ほら、あの百合香さんだったっけ? どっかの財閥の。あの人なんて綺麗でおとなしくてよかったじゃない」 「残念ながら、先週別れたよ。三杉とのことを勘ぐられて、弁解するのもめんどうだったから」 「……………」 逆玉もいいところだろ!? 財閥だぜ!? 一生働かなくてもいいような生活が出来るかもしれなかったのに、あっさりと捨てちまったんだな。 「霞も嫌っていたしね、なぜだかは知らないけど」 結局それがいちばんの原因か。 三杉との仲だって、それが事実だったから弁解しなかったんだ。 あの男、金と見栄えだけがとりえのやな男だけれど、恵ちゃんはなぜだか学生の頃からつるんでる。 「なんだ? その責めるような目つきの悪い目は………霞が真似するから、止めなさい」 「霞、霞って、いいかげん霞だって一人でなんでも出来るぜ。だいたい、あの女が産んだ子を弟ってだけで恵ちゃんが代わりに育てることないんだ。赤ん坊の頃ならいざ知れず」 「あの人に、子育てなんか出来やしないよ。一度だって霞のおむつ換えたことがない人だ。面談だって参観だって運動会だって、俺がぜんぶ出た。手のかかる子ほど可愛いって言うだろ? 実際、霞は育て甲斐があるよ」 二十六のまだ若いみそらで、なに所帯地味てることを嬉しそうに言うんだろう。 「お前の真似をしたがるわりに、霞は要領が悪いからね。お前はうまくもみ消してたみたいだけど霞は違う。先週は喫煙、先先週は喧嘩、来週はなんだろうな。なんだか毎週、霞の担任と顔を合わせてるよ」 確かに霞はちょっとどんくさいから、先生にも見つかりやすいのかもな。 それにしても、甘やかしすぎだ。 「恵ちゃん、霞とは結婚できないんだぜ」 俺の冗談に、恵ちゃんは寂しそうに笑っただけだった。 「いつでもいいから、涼太だった甘えていいんだよ。俺はそのためにいるんだから」 またぽんと頭の上に手を置く恵ちゃんの手のひらが、本当に温かくてホッとした。
「今夜、来て下さいね」 寮の廊下ですれ違いざま、流成に言われた。 内心舌打ちしたが、「わかった」とだけ短く答える。 「………気が変わりました。いますぐ抱いてください」 壊される。 このなにかを思いつめた瞳に、なにもかも。 「あなたを感じさせてください」 俺の過去も未来も、康久の夢も。 すぐ側に康久はいるのに、想いが届かない。 この苛立ちをお前にぶつけるしかないのに、それを知っててお前は仕掛ける。 なにが欲しいんだ? 俺になにを望んでる?
真っ白なラインの先に、俺たちの未来があるというのにいまは見えない────────────。
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記録を紐解きますと、奥付の日付が1994年11月………。 2002.09.27 渡辺祥架 |