【星降る夜、この天の星はすべて君のため】

「ちょっと出られるやろか」

 こっそりと窓を叩いて、顔を出した俺に康久はこっそりと言った。

「出られるけど、いまからか? もう九時過ぎだぞ」

 そう言いながら、俺はポケットに中を確かめる。

 サイフは鞄の中だけど、ポケットに二千円が突っ込んであった。

「疲れとる? せやったら、明日でも………」

「ん? いいぜ、別に。ちょっと待ってろ」

 横で寝ていた霞を起こさないように、窓からそのまま表に出る。

 玄関から恵ちゃんにだけは出かけることを告げて、門のところで待っている康久のもとへと急いだ。

「こっちへ着いたばっかりやのに、悪いなぁ」

 そう言いながら、どこに行くとも言わないで康久は歩き始める。

 土地柄、「遊び」に行く所なんか七時を過ぎるとない。

 だけどきっとなにかあるから、黙って康久についてゆくことにした。

 小道から森を抜け、大通りを渡って、また森へ入る。

 何度もここで遊んだ。

 日が暮れるまで、おばさんが呼びにくるまで。

 あとでマムシが出るんだと聞いても、怖かったなんて思わなかった。

 康久は危ないと言われる場所をちゃんと知っていたし、奥へ入りこむこともなかったから。

 マムシよりも、康久が見せてくれた蛍の群れにひかれた。

 森を抜けると、鳥居が見えた。

 階段があって、その上に小さな赤い鳥居。ここにも、何度か来た事がある。

 なにかの城跡らしいが、古い小さな祠となにもない高台なだけだった。

 とんとんとんと階段を駆け上がると、康久は鳥居の下で振り返った。

「蚊に刺されんやかった?」

「あぁ」

 蚊よりも、別のものの方が刺されると痛いんだけどと笑うと、康久も同じて笑い返した。

 一番上まであがると、視界が開ける。

 ネオンのない空は黒く、海も黒い。

 空と海の境目がわからないほどだ。

 ドーン、ドーンという波がテトラに砕ける遠い音だけが、ここまで届く。

「僕ね、ござ持ってきたんよ。ここに寝っ転がるとね、ちょっといいんや」

 そう言いながら、手に持っていた小さな袋から折りたたみのござを取り出して、康久は地面にしいた。

「寝っ転がるのか?」

 言われた通りにそのござに寝っ転がると、康久も隣に転がる。

 二人で寝るにはちょっと狭かったが、涼しい風が吹き抜けるここでは多少くっついていた方がちょうどよかった。

「涼ちゃん、星が降るよ」

「え? あ………」

 すっと伸ばした康久の指先に、星が流れた。

 見える限り一面の星。

 東京ではもう見えない星が、ここではバケツの中のびーだまをひっくり返したみたいに輝いてる。

 その星が、すー、すーっと連続しておちる。

「今夜、流星群がおってな。朝までに、いっぱい星が堕ちるんやて」

 また袋からバスタオルを出して、自分と俺の腹にかけてくれる。

「やっぱ違うなぁ。あっちの空と」

 空と海だけはここと繋がっていて、離れていてもだから大丈夫だと自分に言い聞かせていた。

「涼ちゃんのいるところは、都会なんやろ? 郊外のほうへ行ったら、同じかもしらんよ」

 くすくすと笑う康久を横目に、深く息を吸いこむ。

 溜まっていると思っていた疲れが、なくなってゆくようだった。

 この澄んだ空気のせいか、それとも横で静かに微笑む存在のせいか。

「写真、送ってくれたやろ。白衣の」

「ん? あぁ、あれか。向こうの仲間ととったやつだな。ランチに」

 陽気なやつらに囲まれて過ごす留学生活。覚えなければいけないことと、言葉の壁に安らげるのは食べてるときだけだ。

 日常の英会話には自信があったのに、やっぱり医学用語に手間取る。

 一時帰国の余裕もなかったけど、ガチガチの生活に危機感を感じていた。

 東京の家じゃなく、まっすぐここへ来たのは会いたかったから。

 残していったことがいつも気がかりで、不安で。

 だけど康久は、なにも変わらずいてくれた。

 おっとりと話す語調も、やんわりとした笑顔も。

「どのくらいおれるん?」

「一週間はいるよ」

 そう答えると、康久はホッとしたように空を向き直った。

 帰ってきてよかった。

 この笑顔を見るために、多少の無理したっていいんだ。

「ゆっくりしてってや。向こうじゃ、のんびりできのんやろ?」

「………あぁ」

 康久にもわかってしまったのだろうか。あんな写真一枚で。

 心配かけないようにと、笑ってる写真だったのに。

「ここもに、アレができてからいろいろ変わったんよ。若い子ら集まるんカフェみたいなんもできた。って言っても、駅前だけやけどな」

 夜に到着したから、気づかなかった。

「へぇ、驚きだ」

 こっちじゃ、コンビニができただけだって驚いたのにカフェか。

「でも、カフェって名前だけで喫茶店でしょ? ばーちゃんはようわかってないようやけど、話しの種に僕に行ってこい言うんや。涼ちゃんつきおうてな」

「お前んとこのばーさん、気持ちだけはハイカラだからな」

「なんか、墓は十字架にする言うて、じいちゃんに呆れられてた。ハイカラ過ぎるやん

 そんな冗談を言って、笑い合う。

 変わらないものと変わってしまうもの、守れるものは守って、後悔は少ない方がいい。

 失くしたくないもののため、なにを犠牲にしたっていいと思う。

 康久。

 いま、一番その存在を失いたくない。

「涼ちゃんのために、星が堕ちるよ」


 自分で言った言葉に、照れて笑う存在を────────────。