【眠れない夜は誰の為に】
「眠れませんか?」 消灯してからずいぶんとたつのに、何度も寝返りを繰り返す康久に流成は声をかけた。 薄明かりの中、布団の中の体がビクっと震えたのがわかる。 「ご、ごめんなさい………」 小さな声が震えていた。 最後の一晩も許さなかった。 奨武が立会い、康久の荷物を運ばせた。 所在無さげな、自分の居場所はここではないという姿がまた気に触る。 「寂しくて眠れないなんて、言い出さないでくださいよ」 流成はベッドを出、康久の小さな身体を見下ろした。 「集団生活は、一人の悪で乱れます。いまあなたは私の睡眠を妨げているし、そんな些細なことでも他人を傷付けていることになる。なにも知らない顔をして、守られて当然としているあなたにはわからないかもしれませんけどね」 「ごめんなさい………」 冷たい流成の声に、涙がこぼれそうになった康久だが、ここで泣いてはまたそれも迷惑なんだとぐっと唇をかみ締めてこらえた。 「君は謝ってばかりだね。謝ればすべて済まされるなんて思っているのかな。謝ればなにをしてもいいって………」 「違います!」 康久は、飛び起きた。 「そんなこと思ってない。僕は………」 肝心な所でたてついてくると、流成は苦虫を噛む。 ごめんなさいを繰り返すだけなら、嫌味でも繰り返せば少しは気が晴れる。 だけど時折見せる康久のこの強い意志が、流成は大嫌いだった。 だから、ますます加虐心が刺激される。 「じゃあどう思っているの? 今日のことは? 君があんな態度だから、こんなペナルティーを課せた。でも、もし別の罰なら君はどうする? 例えば涼太が停学………悪くて退学なんてことになっていたかもしれないんだよ」 「涼ちゃんが………?」 流成の言葉に、康久が反応する。 康久自身を責めても、痛みは与えられない。ならば、涼太ならどうだろう。 自分のせいで涼太に危害が加わるとなれば、その想いが深いだけ康久の傷になる。 「いくら成績がよくても、涼太は先生方から生活態度の面でよく思われていない。これまでだって何度かそんな話が持ち上がったが、渡辺理事の知り合いとかで退学までにはいたっていないんだ。もちろん、私も口添えしたこともある。だけど、今回は相手が悪い。奨武は生徒会長だからね。私よりはるかに発言に重みがある」 それは事実だった。 成績だけはいい涼太を、こころよく思っていない輩は多い。 流成自身、最初はそう思っていた。 「次になにかあれば、退学の可能性だってある。東原だってそれを知っているよ。それでも、まだ君をかばうんだね。そんなに君の『病気』は重いのかい?」 流成は知らなかった事を口にしてみた。 病弱だとは聞いていたが、なんの病気かまでは知らされていない。 過剰なまでの涼太の康久への気遣いぶりを見ていると、ただ体が弱いというだけではないのは勘付いていた。 調べようとしたが、奨武も聞いていないと言うし寮監は言葉を濁しただけだった。 ならば、本人に聞くのが手っ取り早い。 涼太はきっと、自分には教えないだろう。 「寮長としても、知っておいておきたいね。君は、いったいなんの病気なんだ?」 「あの………」 康久は、口を開きかけて黙り込む。 「最小限にしか教えるな」 そう言ったのは涼太だ。 康久も、前の学校のように遠巻きにされるのは嫌だとその意見に賛同した。 「友達が欲しい」 隠し事は胸が痛むけれど、気にされすぎて関係がぎくしゃくするのはつらい。 征太郎や尚弥は、起澄句が話した。それでも変わらず接してくれることに感謝はしているが、すべての人がというわけにはいかないだろう。 隆盛に話せばどうなるだろう。考えたが、涼太とのことでささくれ立っている関係が好転するとは思えない。 「それも言えないわけですか? 本当に君は、私の神経を逆撫でるのがうまい」 「そんなつもりは………」 ないといった所で、結果としてそうなってしまっているなら同じ事だと、康久は言葉を飲み込んだ。 「そう。言えない病気に、東原はあんなに振り回されてるんですね」 イライラする。口を割らない頑固さは、さっき見せられたが腹が立つ。 傷つけているつもりでも、返される悪意のない言葉に傷つけられている。 言えば言っただけ、自分に返ることだとしても腹の奥に重くあるどんよりとしたものを抑えられない。 「ひょっとして君は、自分の病気を盾にひとの気を引こうとしているの? 誰かに優しくされたり、東原を側に置いたり、遠藤なんかにかばってもらおうと?」 「違っ………」 「違わないよね。事実なんだから認めたらいい。君のエゴで、どれだけの人間が振り回されるかよく知って欲しいよ。知らない、わからないと言うのは悪だ」 「………………」 胸が痛むってこんなことなんだと思うぐらい、康久は胸が痛かった。 自分のわがままにみんなを巻き込んで、自分だけが幸せになっている。 流成に言われるまでもなく、常に気に病んでいることだ。 「東原が君といるのは、ただの同情です。それだけは弁えてくれるといいんですがね」 言葉とは反対に微笑んで、流成は言葉を切った。 まだこの針のむしろは続く。痛みはじんわりと継続的に与えた方が効果的だ。 ジリジリと、康久の居場所を失してゆくのもいい。 なにより涼太が康久を離すことができたという事実に、胸が踊っていた。 涼太自身がこの部屋に来なかったことが残念だが、康久に直接手が出せることも魅力的だと、流成はともすれば笑い出してしまいそうな唇を噛んで堪えた。 「おやすみ、早くこの環境にも慣れないといけないよ」 康久が代えした言葉は、流成には聞き取れないぐらいに小さかった。
「なにかされなかったか?」 教室では流成を気にせずに康久といられる。 涼太は席つくなりに、康久にそう尋ねた。 目が赤い。 泣きはらしたのか、眠れなかったのか。 朝、食堂で顔を合わせたときから気になっていた。 自分のいない所で、流成は康久になにか言っただろうか。 いちばんの気がかりだが、もし不純な関係のことを出されていたらと思うと恐くもなった。 「なんで? 大丈夫や、ちょっと緊張して寝つきが遅かっただけや」 無理にでも笑顔を作らないと、いまにも泣いてしまいそうだった。 だけどこれ以上、涼太を心配させることはできない。 「そうか? もしあいつになんか言われでもしたら、俺のことなんてどうでもいいからな。こんな学校、未練はないからいつでも辞めていいんだぞ」 「なんかって………小林さんが僕になに言うんや。第一、涼ちゃんに未練なくても、僕には未練があるし」 学校だけは辞めたくないと、康久は笑った。 「なにも、学校はここだけじゃないぞ」 康久がはじめてできた友達を失したくないという思いもわかる涼太は、苦笑いを浮かべるしかなかった。 自分と流成の関係は知られたくない。でも、流成が仕掛けることから康久だけは守りたい。 「ありがと、涼ちゃん。でも、大丈夫や」 「わかった。でも………」 始業のチャイムに、涼太は言葉を止めた。 「大丈夫や………」 康久は、自分に言い聞かせるようにもう一度つぶやいた。
「元気ないですね。どうしたんですか?」 「大塚部長………」 楽園――――――― 温室の中で液体飼料を手にしながらぼんやりしている背中に、園芸部部長の大塚認は声をかけた。 新入生の中では、いちばん熱心に植物の世話をする華南康久。 当番以外のときにも温室に顔を出すので、大塚と会う機会も多い。 「どうして………」 自分の気持ちがわかったのかと、康久は首をかしげる。 「植物は敏感に察知します。世話する人の感情がそのまま、花たちにも伝わる。今日の花は彩が欠けている」 「そ、そんな事が分かるの!? さすが大塚部長やな………」 驚きの声に、当の大塚は苦笑で返すだけだった。 「この楽園の植物だけだよ。なんとなくわかるのは………ずっと世話をしているからね」 「でも、先輩の家は大きな花屋さんなんですよね? やっぱり、あとを継いで花屋になるん?」 まだ慣れない自分とは違い、てきぱきと花によって違う液体肥料を調合してみせる大塚の手際を、康久は興味津々で見守る。 「あとは継がないよ」 きっぱりと強い口調に、手元に魅入っていた康久は驚いて大塚の顔を見る。 普段とても穏やかな大塚だけに、意外だった。 「うちの花は汚れてる。僕は、卒業したらイギリスに渡って庭師の資格を取るんだ」 汚れてると言ったときの大塚らしからぬ厳しい表情に、康久は家のことは聞いちゃいけないことなのだと覚る。 「何年もかけて自分の理想の庭を完成させてゆく。そんな庭師の世界に憧れがあるんだ」 にっこりと優しく微笑んだ大塚は、もうさっきまでの厳しい雰囲気を感じさせなかった。 「いいですね、そういうのも。おっきな夢や」 大塚が優しく笑うから、康久も優しくなれた。 いまだけ、気が重くなる流成との生活のことを忘れられた。 「君の言葉は、なんだかのんびりしていて不思議だね。大阪とはちょっと違うような」 「三重なんです。なおすことも考えたんやけど、このしゃべりが好きって言うてくれるひとがおって」 癒されると涼太は言ってくれた。自分の声が、言葉が心地いいと。 「大事な人なんだね。そんな目をしてる」 「あ………」 「そんな人がいるのは、いいことだよ。恥じることはない」 一瞬で染まった康久の頬を見て、大塚は大まじめな顔で言った。 「それが誰かなんてことまでは聞かないよ。野暮だからね。さ、今日は蘭の手入れを教えてあげるよ」 「はい」 終わった会話に、康久がほっとする。 「それは誰?」 聞かれても、答えられない。
「東原が呼んでるので、部屋を空けますけれど………」 風呂から帰ってくるなり、流成は本を読んでいた康久にそう話し掛けた。 「え?」 涼太の名前が出て、戸惑って顔を上げる。 こんなときどんな顔をすればいいのか、康久にはわからなかった。 本当は涼太と流成を二人きりでなんてことは嫌だ。でも、自分にはそれを邪魔する権利はない。 流成が少しの悪意もって自分にそんな事を言うのをわかっていても、取り乱したり泣いたりはしたくなかった。 流成の目の前ではけして。 「一緒に行きますか? 泣きそうな顔をしてる。あなたを泣かせると、私が東原に怒られてしまいますからね」 微笑みがとても冷たい。 言葉とは反対の意味をその表情に読み取って、康久は小さく首を振った。 「そうですか。じゃあ………帰りは、朝になるかもしれないですけれど一人で平気ですよね」 「……………はい」 本当は、食事のときに「部屋に遊びに来ればいい」と涼太に言われた康久だが、流成に言えなかった。 涼太が流成にも声をかけたということなら、自分は邪魔物でしかない。 パタンと静かに閉じられた扉を見つめて、康久はやっと詰めていた息を吐き出した。 流成と同じ部屋になってまだ一日しかたっていないのに、こんなんでは先が思いやられる。 きりきりと痛む胃は、涼太と一緒のときでは考えられなかった。 他人と暮らすということがこんなにストレスのあるものだと、はじめて知る。 「いままでが贅沢だったんやしな」 そうつぶやいて自分に言い聞かせても、込み上げてくる涙は止まりそうになかった。 昨日、二人で見た月が、鮮やかな魚たちが、優しい声が、何度も閉じた瞳の奥で繰り返す。 涼太の自分に対する接し方はなにひとつ変わらないのに、失してしまったかのように思える。 昨日まで当然のようにあったぬくもりが、いまはない。 それがこんなに辛いことだと、ひとりがこんなにせつないことだと、「痛み」で知る。 伊勢では涼太がいないことなんて普通だった。それは当たり前のことだった。 寂しくは思っても、胸が苦しくなることなんてなかったのに。 目の前の扉を開けて、廊下を行けば涼太はそこにいる。 でも、昨日まで一緒に過ごしていたあの部屋に、いまは涼太は流成と二人でいる。 二人の仲のよい姿を見てしまったら、康久は自分はここにいられなくなる気がした。 「涼ちゃん………」 名前をつぶやいたとたんに、涙があふれる。 初恋は実らないと、誰かが歌っていた。この気持ちが恋だとするなら、最初で最後。 ただ一緒にいたいという気持ちが恋だというなら、いまが初恋だ。 「涼ちゃん………、涼ちゃん」 今夜は泣いても咎める人がいない。そう思ったら、康久の涙は止まらなかった。 涼太の名前を呼んでは、胸の痛みが増す。 四六時中一緒にいられることなんて贅沢だといいながら、たった数日離れただけで苦しくてたまらない。 一人占めなんて考えていない。涼太は自分だけの人だなんて思っていないといいながら、自分じゃない誰かと二人でいるのは胸がざわつく。 そんな自分勝手な感情が自分の内にあったなんて、気づいて自分が嫌になる。 こんなあさましい自分を涼太が知ったら、嫌われてしまう。離れていってしまう。そう思ったら、もっと泣けた。 覚られないように、心配もかけないように。 思いを隠しても、胸の痛みは消えることがないのだと、康久は知らなかった。 |
強いて言うなら6500Hit記念up。 2003.05.11 渡辺祥架 |