【星が隠れる空の下】
「どうかしたのか?」 「え? な、なんでもない………」 自然と箸が止まっていた。 寮の食堂で、少し遅くなった夕飯を涼太ととっていたときに。 「これ、美味しいなぁ」 少しわざとらしいと思いながら、康久は笑った。 昼間にあったことを、気づくと考えている。 康久は、涼太には言えないでいた。隆魅たちにも言わないで欲しいと頼んだ。 ただの誤解からのことだと自分に言い聞かせても、あの奨武の自分への敵意が頭から離れない。 話をしたのは初めてなのに、前から知っていたようだ。 自分の病気のことを知っているのだろうか。 特別扱いされるのが嫌で知らせていない、一部の教師しか知らないことを。 「熱でも出たんじゃないのか?」 大丈夫だと笑う康久を無視して、涼太は康久の額へ手を伸ばした。 手のひらでその熱さを確かめて、熱はないことを確認する。 「……………熱じゃないのか。どうしたんだよ。部活で何かあったか?」 「涼ちゃん………」 やっぱりなにがあったを言えないと思う康久は、少し考えて嘘をついた。 「花が枯れちゃったんだ。ちょっと………手入れ方を間違っちゃったみたいでな」 「そっか………それで落ち込んでんのか。ま、そんなときもあるさ。これでひとつ学んで、次は大丈夫だろう?」 「う、うん………」 チクリと、胸が痛む。嘘を信じたような涼太に。 まさか涼太が自分の制服に煙草を入れたとは思わないが、あの銘柄がただの偶然とも思えなかった。 では誰が? チラッと別のテーブルで食事をとっている小林流成を見たが、向こうは康久のことなど気にもとめていないように淡々と食事を済ましていた。 違う。そんなことはない。 流成に疑いを向けたことを、康久は恥じて打ち消した。 普段の流成は優しいし、とても穏やかに微笑んで、自分と挨拶を交わしてくれる人を疑うなんてどうかしている。 「……………康久」 ふと、涼太が声をひそめて康久に語りかけた。 「なに?」 その様子に、康久は持っていた茶碗と箸を置いてひそめた涼太の声が聞こえるように前に身体を乗り出した。 「今夜、寮を抜け出すぞ」 「えっ!?」 思ってなかったことにびっくりして少し声が大きくなった康久は、あっと我に返って辺りを見渡してしまった。 人も少なかったが、誰も自分達を見ている人がいないのでホッと胸を撫で下ろす。 当然、門限を過ぎての外出許可は下りるはずがない。 その理由が特別なものならいざ知らず、涼太のニヤリとした顔を見る限りまっとうな理由ではなさそうだった。 もともと、「抜け出す」と言う時点でまっとうなはずがない。 「どうしたん? どこ行くん?」 ひそひそ問う康久に、涼太はただ笑って「内緒」としか言わなかった。
「紅茶がいいですか? ポカリもあるし、コーヒーがいいですか?」 机上のとても小さな冷蔵庫を開けて、流成はベッドに腰掛けている男を振り返った。 「なんでもいいさ。そうだな………じゃ、ポカリ」 流成はけして投げて渡すことはせずに奨武に手渡しで缶を差し出した。 「サンキュ。しかし、さすが寮長の部屋だけあって、プライベート冷蔵庫か?」 缶を受け取った奨武は、冷蔵庫をさして笑った。 「これは別に特別じゃないですよ。妹が懸賞に当たったからと、送ってくれたものです」 「懸賞? すごいな」 確かに、冷蔵庫にはメーカーのロゴが大きくあるし、入るものも缶ジュースだけのようだった。 「実際、夜中にふと喉が渇いたときには便利だ。わざわざ食堂に行かなくてすみますからね」 はじめは要らないと妹に言っていたこともあったが、使ってみれば便利に越したことはない。 例えばいま奨武と食堂に出向いて二人で飲み物を買えば、ぜったい詮索される。 それが避けられるだけでも、役に立っていると流成は思った。 「でもどうしたんですか? 学校帰りにしては私服だし、なにがありました?」 「……………今日、アイツに逢ったぞ」 本題を切り出されてしまったので、奨武は渋い顔になりながらもここへきた理由を口にした。 「温室のとこで、煙草を吸ってた形跡があった。その場にいたのはあの華南だけで、証拠だってあったのに邪魔された」 いま思い出しても腹立たしいと、奨武は握りこぶしで自分の膝を叩く。 「邪魔?」 流成の声に驚きは含まれていなかった。ただ、すっと目が細くなっただけ。 「遠藤隆魅って、サッカー部の例の………」 「あぁ、選抜選手?」 三年の遠藤と康久に接点などなさそうだが、まったく知らないというわけではないことを流成は知っていた。 涼太の学校でのまともな友達は青葉和樹だ。その青葉に康久を紹介していれば、自然といま青葉の家に下宿している遠藤とも繋がりが出てくるだろう。 忌々しい。 ふと、青葉のことも遠藤のことも、涼太が康久を庇うために配しているような気がしてきた。 今日のことはただの偶然だ。でも、そんな気がしてしまう。 「流成?」 「え? あ、………」 いつの間にか奨武が立ち上がって、自分のすぐ側まで来ていることに気づかなかった。 そっと触れてきた頬の手の暖かさが、逆に自分の心を冷ましてゆくような気がする。 「用はそれだけだ。用っていうか、ただの報告だったな、こりゃ」 電話で済まさない理由を、流成は聞かなかった。 「そんじゃ、門限前に出てくよ。明日、また学校でな」 キスに進むかと思った空気が、奨武の笑顔で変わる。 「風呂上り、風邪なんてひくなよ」 すっと触れていた手が離れた瞬間、流成はその手を掴んだ。 「なんだ?」 予想していなかった流成の行動に、奨武の動きが止まる。 「あ………………」 流成のほうも、顔には出さなかったが自分の行動にびっくりしていた。 「そのまま帰るんですか?」 流成の言葉の意味を、奨武は聞き返さなかった。 視線の意味がわからないほど、奨武も野暮ではない。 ちゅっと、わざと音を立てて流成に口づけた。軽い、まるで子供相手にするみたいなキスだった。 「ご馳走さま。ポカリばかりか、嬉しいね」 まさかそんなキスがくるとは思ってなくて、面食らっている感の流成に奨武は片目を閉じて笑った。 「欲がないんですね」 からかわれてるのかと思ったが、これが奨武の性分なのかもしれないと流成は考え直した。 正義感が強いのも知っている。ひょっとしたら、恋愛も肉欲で動かないタイプなのかもしれない。自分とは正反対の。 「欲がないわけじゃない。俺はそんな聖人君子じゃないさ。ただ、まだ小林が俺を好きだと感じなくてね。違う?」 責める風じゃなく、奨武は言う。 「まだ、この胸に俺は少ししかいないんだろ? でも俺は聖人じゃないから、キスはした。いまはキスだけだったけど、次はどうかな」 「……………嘘はつけませんね。でも、あなたが気になるのは本当ですよ」 奨武が笑うから、流成もつられて微笑む。 和やかな空気の奥で、流成は奨武が気づきはしないだろうか不安になった。 奨武を、涼太の側にいられるために康久を嵌める道具にしていること。もし気づいたら、奨武はどうするのだろう。 「おっと。門限過ぎちまったな」 腕の時計で時間を確かめ、奨武は断ち切るように自分から流成の部屋のドアを空けた。 が、廊下に二つの影を見つけてさっと再びドアを閉める。 「どうしたんですか? 廊下になにか?」 「アイツだ………華南康久と、東原。外出するみたいだ。許可は?」 奨武は自分の声が外に洩れないように、声を低くした。 「許可願いなんて出てませんよ。今夜は誰も。お風呂かなんかじゃないんですか?」 「違う。ありゃ、外に出るかっこだ。上着を引っ掛けてたし、東原は帽子までかぶってた」 流成は、食堂での二人を思い出した。 なにやら声をひそめて話し込んでいたのは、抜け出す話をしていたに違いない。 なんていいタイミングなのだろう。今夜、この場所に奨武がいたことが。 「あの窓から、裏門が見えます。確認しましょう」 自然とこぼれてしまいそうな笑みを我慢して、流成はベッド脇の窓を指差した。 |
カムロさんに「書いてんの?」とチクリとやられたので、2000hitの更新はsongsにしようと…。 2002.02.15 渡辺祥架 |