そのろく
「ひっく………んっ………うぐっ………」 泣いても、自分の嗚咽が暗闇に響くだけでなにも変らない。 真っ暗な森。 「渉くん、いい子はずっとここで待っていられるよね。大丈夫よね」 なんども言い聞かせらせれて、ただうなずくしかできなかった。 いつもと違う空気が怖かった。 俺の手を、痛いくらいに握りこんでズンズン歩く母親の背中は、まるで知らない人のようだった。 道をそれて入り込んだ森の奥、光さえ時折しか降らない大きな木ばかりの、朽ちた大木の傍らに。 「お腹すいたらこの中にお菓子が入ってるからね」 ほんの少しの食料と、ペットボトル半分の紅茶だけを与えられ。 「それじゃ、必ず迎えに来るからここから動かないでね」 一度も振り返りもしなかった背中を見送った。 必ず迎えに来るという言葉を信じるしかなかった俺は、ずっとその場所で待った。 夜がきて、また朝になって、そして夜がきても。 その夜に野犬が出て、右膝を噛まれてもそこは動かなかった。 また日が昇って、ただうずくまっていたらまた犬の気配がして、怖くなって走った。 めちゃくちゃに走ったけど犬の脚は早くて、簡単に追いつかれて飛び掛られた。 そのまま気を失って、次に目が覚めたときは病院のベッドの上だった。 あれから、俺は森が苦手なんだ────────────。
「血が繋がってないのか!?」 気持ち悪いぐらい仲がいい兄弟だといわれて、血は繋がっていないんだと言ったら、工藤は驚いていた。 「じーさんの趣味が狩猟でさ、俺は子供の頃にじーさんの飼ってた猟犬に襲われたんだよ。森ん中に捨てられてた子供を怪我させたってんで、じーさん責任とって俺を引き取ったわけ」 「悪りぃ………」 失言したというような顔をされ、俺は慌てて笑った。 「あの時いなくなった母親以上に、俺は愛してもらってる。一転してすげー裕福な生活できて、俺はラッキーだったって思ってるんだから」 もしあのまま、じーさんの猟犬に襲われることなく母親の言う通りあの場所で待ちつづけていたら、俺は死んでたんだろうな、と時々思う。 逢いたいと思ったことがないと言えば嘘になる。 自分が捨てられたんだと大人たちは直接口にしなかったが、薄々と気づいたときに「ごめんね、待たせて」なんてひょっこりと現れてくれないかと願ったときもあった。 でもそんな感情は騒がしい日々の中で忘れそうなぐらいだったし、兄となったあっちゃんとなっちゃんの愛情がすさまじくて。 ここに来ることは、ちょっと計算外だったけれど、よーーく考えてみたら俺が日頃やってることってけっこう酷いことだったりしてたんだよな。 じーさんが怒っても当たり前。特に今回は、教育委員会や父兄の前での悪ふざけだったし、じーさんの立場ってのもあったと思う。 離れてみて感じる、あの家族の大切さ。 いつも大切に思っていたけど、家にいるときよりももっと強く思う。 「俺ねぇ、自分で言うのもなんだけど向こうじゃすごい好かれまくってたわけよ。懐かしいよ、あの日々がさ」 さすがに学校の全員とは言わないけど、俺がなにかするたびに注目集めていたし、休み時間になれば自然と俺の周りに人が集まってきた。 校内でも校外でも、家でも俺は一人でいたためしがない生活だった。 こっちも、部屋が個室じゃないから一人じゃないって言えば一人じゃないけど、なんかみんな遠巻きで、雪ちゃん以外は親しく話し掛けてこようとしない。 なにがいけないんだ? いくら持ち上がりの寮生ばかりだからって、馴染もうとしてくれないってのは俺に原因があるのか? まさかじーさん、転校前に俺のこと変に吹聴したのか!? 「寂しいのか? 家族や友達と離れて、こんな山の中へ来て」 「いや………」 それが不思議と、一度も寂しいと思ったことはない。 あっちゃんやなっちゃんに逢いたいとは思うときがあるけど、だからって抜け出してやろうとかはない。 「俺、森は相変わらず嫌いだけどさ、ここに来た事は悪いことだと思ってない。甘やかされすぎてもっと嫌なヤツになるよりは、じーさんの制裁受けてよかったんだよ」 なぜだか、今日の工藤の声はすごく静かで、俺はその静かさに心地よさを覚えていた。 いつもこうだったらいいのに。 どこで間違った? 普通の先輩と後輩の仲に、もう戻れないのかな。 はじめましてからもう一度やり直したい。 でも、そう思うどこかでなんだかそれはすごく寂しくて、俺は昨日の自分の広いベッドを思い出した。 一人で寝ることが、不安に感じるなんてどうかしてる。そう思うのに。 「そんな目で俺を見るな」 「へ?」 フイと視線を外された。 俺、そんな不機嫌にさせるほどマジマジ見ていたか? ちっょとぼーっと見てたけど。 「お前はまだ本調子じゃねーんだから、もう寝ろ」 イラついた口調でそう言うと、工藤は部屋を出てゆこうとする。 なんで急にこんな空気ぶち壊しになったのかわからないけど、俺がいけないわけじゃないだろ!? 「どこ行くんだよ」 納得行かなくて、思わず工藤の腕を掴んで引き止めた。 「いいから、寝ろっ」 簡単に振り払われて、ますますわけがわからなくなる。 「なんだよ! 一体俺がなにしたってんだよ! 急にそんな不機嫌になられて、こっちだっていい気しねーだろっ!」 さっきまでずっとこんなだったらいいのにって思ったことは、後ろ足で砂かけてやる。 やっぱりこんな気分屋、ついていけない。 工藤は俺のこと上からまるで表情のない顔で見下ろしていたけど、また先に視線を外すと「悪かったな」なんておよそ不似合いな言葉を残して、部屋から出て行ってしまった。 なんだよなんだよ! こっちもむしゃくしゃして不貞寝を決め込んだけど、ちっとも眠れなくて。 帰ってきたら、とことん理由を聞きだしてやると思ったけど、朝まで工藤は帰ってこなかった。
「え? どういうこと?」 目の前で、自分の荷物を一抱えにしている田中に、寝不足の頭がついてこない。 眠れないと思っていたのに、朝方にうとうと寝入っていた俺は、カチャリという扉の開く音で目を覚ました。 工藤が帰ってきたと思って飛び起きたら、そこにはやっぱり寝ぼけ眼の田中が立っていた。 「どうも口も、俺もさっき寮長に起こされてこっちへ移れって………」 「東堂先輩が? なんでっ!?」 「知らないよ」 自分の荷物を工藤のベッドの上に投げると、田中は工藤の机の上を片しはじめた。 「どうすんの? それ」 てきぱきと、どんどん参考書や辞書やノートがひとまとめにされてゆく。 「俺のとこに、工藤先輩が移るんだって。せっかく一人部屋でのんびりしてたのにさー。なんで今ごろ………っと………」 不満が顔にアリアリの田中は、気まずそうに愚痴を止めた。 「悪りぃ、花島に当たったって仕方ないよな。いきなりだけど、これからよろしく。仲良くやろうぜ」 田中は悪いやつじゃない。 アレに比べたらずっと大人で、もともと本当は田中が俺と同室だった。 これが自然。これが当たり前。こうなるはずだった。 そりゃ、アイツのこと嫌だって思った。やってけない、ついていけないって思った。 でも、でも………。 こんな結果は望んでいなかった────────────。 |
カメに拍車がかかってますか!?
2004.03.04 |