ラブシック
「もう………っ………んっ………」 「もう?」 意地悪く、すべてを言わせようとする。 吐息はこんなに甘いのに、自分だってわかってるくせに、頭来る。 「もうなに? ちゃんと言ってくれなきゃわかんないよ、秀平」 「やめっ………あっ………」 囁きと耳たぶへの優しい愛撫。 追い詰めて追い詰めて、寸前のところでせき止められる。 「い……っ…」 こんなにイキたがってるのに、わかってるはずなのに。 「い?」 思わず目を閉じた俺の顔間近、触れるんじゃないかと思うような距離で覗き込んで皓洋(こうよう)が聞いてくる。 薄目で見ても、整ってきれいでカッコイイ。 色素の薄い細い髪も、理系なのに俺より一回りもいい体格も、学年トップのその頭ン中身も。 どこをとっても、その性格以外は×が付けようもない男なのに、なんで………。 「どうした? 秀平」 目の奥が笑ってる。 こんな皓洋の顔は、きっと俺しか知らない。 皓洋が、俺にしか見せないからだ。 先生からも後輩からも慕われてるコイツが、実はこんな底意地悪いって知ったら、みんな俺に同情してくれるかな。 そりゃ俺にだって優しいけれど、エッチのときは別だ。飛び切り意地悪だ。 「やめるか? こんなにして、ここで俺がやめたら自分でするのか? 俺、見ててもいい?」 くすくすと、わかってるくせに言うな! そんなこっ恥ずかしいこと、絶対しねーっ。 そんなこと、考えただけでも耳までカーっと熱くなること俺ができるわけがない。 「どうする? 秀平」 「い………………入れるならとっととしねーと、もうテメェとなんて縁切って、二度と喋りもしないからなっ! いつもいつも間際で寸止めしてんじゃねえよ」 いつもいっつも、俺から求めたことなんてない。 皓洋が「美味しい肉があるから」だの、「テスト勉強のため」だの、「新作ゲーム」だの、物でつるようにして俺をこの一人暮らしの部屋に連れ込む。 連れこまれちゃったらあとは決まってるんだけど………おじさん達恨むよ。海外赴任が決まったとたん、皓洋を一人暮らしさせたこと。 一緒に連れてってくれたらよかったのに。 結果なんてわかってるのに、俺も簡単につられるのが悪いかも知んないけど、そりゃ少しは「ヤル」ことの覚悟もアリで来るんだけど、散々焦らされるのは嫌だ。 頭が白くなって、もうどうでもいいって思うくらいに皓洋にしがみつきたくなる。 そうなると皓洋は、今度はすごく優しくなって俺は甘ったるい吐息ばっかリ吐かされるから、それも嫌だ。 身体のずっと奥がこそばゆくて、どうしたいのかも考えられなくなるし。 「どうすんだよ。するのかしねーのか、もう俺どっちでもいいや」 本当は、こんなとこでやめたら身体の奥についた火種は自分で慰めたって消えやしないんだけど、少しは俺の気持ちもわかれってんだ。 「ご、ごめん、秀平。そんなに怒るなよ」 とたんに皓洋の顔色が変わった。 意地悪な顔は引っ込んで、こっちの機嫌を伺う。 俺をぎゅっと抱きしめて、耳元に囁く。 「本当は、俺のほうがもう我慢できない。なぁ、入れていい? 入れさせて? 秀平のナカに入りたい」 少しかすれた、熱っぽい吐息が股間に響く。 「……………皓洋」 最初からそうやってお願いされれば、俺だって意地とかはんないですむのに。 もう十年以上付き合ってて、なんでまだわからないんだろう。 「終わったら、本屋でも行こうぜ」 さっきまでのことは、笑って許してやった。 結局俺も、気持ちいいことは好きだし────────────。
「千葉、そろそろ行こうか」 「橋本先輩………」 胃の重たい放課後。わざわざ俺の教室に、先輩は顔を出した。 「大丈夫すか? なんか顔色すぐれないけど」 胃が重たいのは、俺だけじゃない。先輩のほうがきっと、数倍重いんだろうな。 「大丈夫だよ。なんとか………ははは」 優しい笑顔は変わらないけど、笑いが乾いてるし力もない。 この五月の予算合わせは、毎年いつもひと騒動だ。 結果が出せている部はいい。でも、俺ら生物部なんてのは地味に活動しててこれといって学会なんてのにも縁がないし、当然「賞」みたいなものとも縁がない。 無駄に金を使うだけだといわれて、予算が下手したら他の部の十分の一にみたなくなる可能性だってある。 そうなったら、みんな自腹切って部費を集めての活動を余儀なくされてしまう。 なんとしてでも今年は昨年の三倍! を目標に粘らなきゃいけないのだ。 部長の橋本先輩の荷は重い。この先一年間と来年以降も担ってるんだ。その顔色だってうなづける。 だけど俺の胃まで重たいのは、掛け合う相手が皓洋だってことだ。 生徒会長なんて役職、まったく皓洋らしいけれど。 「千葉………その、なんとかならんのか?」 「え? なにをなんとか?」 ぽりぽりと何かいい憎そうな先輩は、苦笑いでちょっと迷い、そして言った。 「その………天堂とはいとこなんだろ? いとこの千葉からちょっと言ってもらえれば、うまくいくかなーなんて」 「あーー………」 言われると思った。 思わず頭をぽりぽりとかいてしまう。 「多分ダメですよ。アイツそういうとこで公私混同しないタイプだから。かえって、予算削られる可能性のが高くなるかも」 第一、俺が同じテニス部に入らなかったことで、アイツはすごく不機嫌なんだから。 「すみません、副部長なのに力になれなくて」 「いや、いいよ。他力本願なんてダメだよね。僕ががんばるよ」 かわいそうなぐらい弱々しい笑顔だった。 力にはなれなくても、ちゃんと援護射撃ぐらいはするから、先輩。 俺が援護じゃ、先輩だって心細いだろうけど。 会議室の扉をいやいや開ける先輩の背中に、ひっそりと誓う。 俺も自信はないんだけどさ………………。
「な、納得できませんっ!」 思わず、橋本先輩は椅子から立ち上がった。 「お、横暴だっ!」 俺も慌てて立ち上がり、先輩に続く。 「なぜうちだけ部費が三万円なんです! そんな額じゃ、活動できません!」 穏やかな橋本先輩が声を荒げるのも当然だ。 他の部が軒並み十万円台なのに、何でうちだけそんな額を提示されるんだ。 体操部なんて、新しい鞍馬を買うとかでプラス九万円上乗せまで許されてる。 同じ文科系の連中は同情顔だけど、何も言わない。せっかく確保した部費を、生物部が増える分だけ削られるからだ。 「納得できなくても、納得していただかないと」 頭に血がのぼった俺らとは逆に、皓洋は冷静に微笑んだ。 友好的な笑顔の裏の、ぴしゃりとした態度。 「でもっ!」 しかし先輩もまだあきらめなかった。 十万きったら部長としての面目が〜とか言ってたから、まさか十万どころかその半分も満たない額を承諾したなんてことになったら、みんなになんて言われるか。 「だって無駄でしょう。三万でも多いかなって思ってるぐらいですよ? 結果も出せないゴクツブシ部に」 「なっ!? 何てこと言うんだよ、皓洋ッ!」 怒鳴ったとたん、場がざわついた。 そっか。この場で皓洋を呼び捨てできるやつなんて、俺しかいないんだ。皓洋よりの人間は、みんな眉間にしわを寄せて俺を睨んでいた。 うるさい! この金魚の糞っ! お前達に睨まれる筋合いなんてこれっぽっちもないんだ! だって悪いのはその生徒会長様だぞっ! なんでうちの部だけ!? 「異議申し立てがあるなら、後ほど文章で提出してください。検討するかは、わかりませんが」 「そんな……………」 いかにも時間の無駄だからこれで解散したいという態度アリアリの書記の言葉だった。 それを決定付ける、皓洋の「解散してください」の声。触らぬ神に祟られないように、みんなもそそくさと席を立って会議室を出てゆく。 「なんでこんな………」 真っ青な顔色で、先輩は唇を噛んでいた。 悔しい。俺は何もできなかった。 「それじゃ、申立書は日付が変わるまでは待っててやるから」 ぽんと慰めるみたいに俺の肩を叩いたけど、すべての元凶はお前なんじゃないかっ! 「だ………大ッキライだっ! バカッ」 正面きって怒鳴ったら、さすがに皓洋は言葉を失くしていた。 わかってて言ったんだ。その言葉が、いちばん皓洋を傷つけること。 そして言い逃げる。 許せなかったんだ。 多分俺が生物部にいるからこんな予算組んだんだ。これは嫌がらせだ。 公私混同しないって先輩に言ったけど、本当は皓洋は俺がらみだと平気でこんなことする。 俺一人がってんならまだいいけど、今回は部のみんなを巻き込んだ。 それが許せなかったんだ………………。
日付が変わる。あと三分。 皓洋が言った期限は、あとそれだけって言うことだ。 来るかどうしようか、ギリギリまで悩んでいたらこんな時間になっちまった。 母親の「シチューあるから、皓ちゃんに持っていってあげなさい」の言葉がなかったら、来なかったかもしれない。 異議申し立ての書類………って言ったって、去年の活動内容と活動費用をまとめて書類にして、予算が足りないことをつづった文書だ。 先輩が悔しい歯を食いしばって書きあげた。 「これを渡すも、渡さないも、千葉の一存でいいから。予算があれで決まっても、なんとか策を考えるから大丈夫だよ」 先輩は手渡しながらそう言った。 皓洋とやりあったあと、落ち込んだ俺を気遣ってくれたんだと思う。 そんな先輩の優しさに、俺は応えたいと思ったから来たんだ。 別に皓洋がどうしてるか心配だったって理由じゃない。 なのに、なんで俺はこんなに落ち込んでんだろ。 大嫌いと言ったときの、あの皓洋の辛そうな目が頭から離れない。 一瞬で凍りついた、あの皓洋の顔。 玄関に、鍵はかかってなかった。 電気の消えた室内に、皓洋の気配がない。 寝ちゃってるのだろうか。玄関に靴はあったから、出かけてるわけじゃなさそうだけど。 「こ、皓洋っ!?」 台所の電気をつけてびっくりした。 暗がりの中、テーブルに両ひじをついて皓洋が座ってた。 「なんで来たんだ?」 ボサボサの掻き毟ったような頭で、なにかを必死で抑えた声。重たい空気が、刺さるようだった。 「なんでって、皓洋が持ってこいって言ったんだろ? あと、母さんがコレ持ってけって」 袋に入ったタッパをテーブルの上に置くと、皓洋はゆっくりと顔を上げて俺を見た。 「な、なんだよ」 じっと思いつめたような目で見るから押されるけど、渡すものだけは渡さないとな。 俺はポケットに入れていた先輩に託された封書を、皓洋の前に差し出した。 「ちゃんと考えてくれよ。あんな予算じゃ、活動できない」 「…………………………」 皓洋の眉間のしわが深い。機嫌が悪い証拠だ。だけど、俺だって言いたいことがあるんだ。怒ってるのは、こっちも同じ。 「そんなに生物部が大事か? あの橋本のがいいのか?」 「は?」 なんでここに、橋本先輩の名前が出て来るんだ? 「生物部は大事だよ。いい先輩も、後輩もいる。潰したくはないよ」 「俺より、あの橋本がいいんだ。秀平は」 「なに言ってんだよ。橋本先輩はここで関係ないだろ?」 「秀平っ!」 派手に椅子を倒して、皓洋は立ち上がって俺の腕を掴んだ。 「痛っ………皓洋っ!」 ギリギリと力が入って、俺はその痛みに顔をしかめる。 皓洋はいつも意地悪だけど、俺に乱暴したりはなかったのに。 「皓洋ッ!」 そのまま腕を折られるような気がして、叫んだ。 「見たんだ。秀平と橋本が中庭で抱きあってるの」 「えっ!?」 手の力は緩んだけど、皓洋は腕を放してはくれなかった。 「橋本先輩と抱きあってなんか………えっ」 昨日か? ひょっとして。 昼休みに、先輩と予算会のことを相談することになって、天気がよかったから中庭で飯食ったんだ。 別に抱きあってなんかいないけど、芝から立ち上がったときにバランス崩して転びそうだった俺を、先輩が支えてくれた。 見ようによってはそう見えたかもしれないけど、あんなの「抱き合った」わけじゃない。 「思い当たるんだろう?」 「お、思い当たるかっ! もういい加減にしろよ。そういうの」 いつまでも放さないから、俺から腕を振り解いた。 赤く、皓洋の指の跡が残る。ずしりとした鈍い痛みとともに。 「俺がお前の言う通りテニス部に入らなかったからなんだろ? 昨日のことだって、俺がただコケてそれを先輩が助けただけだ。どうしてなんでも疑うんだよ」 「不安なんだよ、いつも」 今度は強く抱きしめられた。 搾り出すような皓洋の声に、胸の奥がズキンと音を立てる。 なんでだろう。怒ってるのに、せつなくなるは。 「俺以外の誰も秀平に近寄らせたくない。秀平の口から、俺以外の名前が出るのも嫌なんだ。自分でも抑えがきかないものが、フツフツと沸騰するんだよ」 ごめんと、小さかったけど俺の耳には届いた。 震えた声が泣いているのかと思ったけど、顔が見えないからわからなかった。 一応、今回のことは自分が悪いってわかってるみたいだ。 「そばにいてほしいんだ。俺だけが一方的な好きなのわわかってるけど、お前じゃないとダメなんだ。秀平じゃないと………ダメなんだ」 俺だって、こんな耳元に熱く囁かれてゾクッとするのは皓洋だけだ。 皓洋しか知らないけど、皓洋だけだ。 皓洋が嫉妬深いのも知ってる。俺がいつも素直な態度とらないから、不安にさせてるのも知ってたのに、俺も悪かったよな。 いつも嫌だ、嫌だって拒むけどそれは本心じゃない。 だって皓洋の腕は安心させるし、皓洋の声は俺をどきりとさせる。皓洋の指は、俺を気持ちよくしてくれる。 「俺さ、………俺もちゃんと皓洋好きだから、もっとドンと構えててくれよ」 抱き返すと、皓洋の動きが一瞬止まった。でも一瞬で、そのあと息も止まるぐらい強く抱かれた。 「こ、皓洋………んっ」 噛みつかれたようなキス。強くて、だけど優しくて。俺をすぐ甘く溶かしてしまう。 「秀平、秀平」 「ちょ、ちょっと皓洋………んっ」 乱暴に服をはがれて、抗議しようとした口はすぐ皓洋の唇でふさがれてしまう。 息苦しいのに気持ちは良くて、頭がポーッとしてもうどうでもいいかなって。 結局俺は、快楽に弱いんだ。
生物部の予算は、前年比百五十パーセント増しが決定し、なんとか橋本先輩も胸を撫で下ろした。 次の日はちょっと身体が辛かったけど。 |
END
楽園に登録した作品なので、たくさんの人の目に触れた話。 2002.08.16 |