secret of my heart
「響介、悠希(ユキ)はどうしてる」 書類から目を離さずに、そう問われた。 「疲れたからと、もう寝ております」 「そうか………」 目が疲れたのか、メガネを外して目を押さえる。 「響介……………」 しばらく考えてから、彼は言った。 「お前を悠希につける。今後二度とこんなことがないよう、響介が悠希のそばにいてくれないか?」 社長の片腕として育てられている自覚はあった。 それなりにかわいがられてもいた。将来も明るいものだった。 それがいまさら子守りの職につくなんて、思いもしなかった。 「そんな顔するな」 感情が顔に出てしまっていたのか、俺の顔色に社長の表情も渋る。 「悠希がある程度手が放せるようになったら、すぐ戻ってもらう。お前のポストは空けておく」 「……………はい」 「それから、完全に仕事を離れてもらっても困る。悪いが、悠希のそばにありながら、私も助けてくれ」 都合のいい話しにも、俺はうなずいた。 社長の大神希一(キイチ)には世話になっていた。 人柄も経歴も好きだし尊敬していた。嫌だとは言えなかった。 あれから十年。 俺は自分の意思でそばにいる────────────。
「相原、悠希さまは?」 「部屋にいらっしゃいませんか? ………おかしいなぁ。なんか先生と喧嘩したから、今日は出かけないって言ってらしたのに」 俺の下についている相原は、いまいち悠希の行動範囲をわかっていない。 「出かけないと言っていたんだな」 再確認すると、相原は怯えたようにうなずいた。 俺に怒られると思っているらしいが、怯えるぐらいならもっと悠希のことを考えてくれたらいい。 「俺も探しましょうか?」 「いや、心当たりがあるからいい」 落ちこんでいるときに行く場所には、いくつか心当たりがあった。 敷地内でいるとしたら、離れの中庭だ。 「響介かよ……………」 予測通り、悠希は中庭に置かれた古い木製のブランコに座って、膝を抱えていた。 俺に気づくと、見つかったことを拗ねたようにそっぽを向く。 「お腹すいてませんか? サンドイッチ、持ってるんですけど」 手に持っている紙袋を見せると、ますます拗ねたように睨む。 たぶん、朝食からとっていないはずだ。時計は三時を指しているから、空腹を訴えているはず。 「紅茶もポットに用意してあります。いかがですか?」 ちゃぽんとポットを揺らすと、悠希は悔しそうに隣を空けた。 隣に座れということなのだと勝手に判断して、腰を下ろした。 先生と喧嘩をしたというのは、本当なのだろう。 赤い目をして、携帯を握り締めていた。 その携帯の代りに、サンドイッチとカップを握らせる。 「今日は絹子様もいらっしゃいませんし、響介と外へ食事でも行きませんか? 相原が美味しい店を見つけたらしく、騒いでいましたので」 「……………気が進まない」 口いっぱいに頬ばりながら、悠希は首を振った。 「日本料理だそうですよ? 昨日、和食が食べた言って、もらしてたのに?」 そう言っても、まだ気乗りがしないみたいだった。 「……………響介と二人でなら行ってやってもいい。相原が来るなら、行かない」 口の中のものを紅茶で流し込み、悠希はポツリと言った。 相原がかわいそうにと苦笑すると、また拗ねてしまう。 「わかりました。では、響介とこの離れで何かとって食べましょう。それも嫌ですか?」 「……………それならいい」 言いながら、脇に置いた携帯を気にしている。 電話を待っているのだ。 悠希をこんなにせつなくさせるその男に、胸がざわつくのを覚える。 「黒須先生もお呼びしますか?」 心にもないことを言ってみた。 「え………」 悠希は一瞬嬉しそうに顔を上げたが、すぐ怒ったように顔を伏せる。 悠希が黒須といることも腹立たしいが、いないのに悠希の心を占めていることのほうが腹立たしい。 「なんだよ、響介まで怖い顔するなよ」 「怖い顔してましたか?」 誤魔化すために笑った。 こんな汚い気持ちを、悠希に知られたくないと思う。 「それでなくても、響介は黙ってるだけで怖いんだからさ」 そう返された笑顔は、十年前から変わらない。 そう言えばこの中庭も。 手入れがないわけじゃないが、植えてある花や木は昔のままだ。 悠希の母親、絹子様の趣味らしいが、俺はここが好きだった。 「響介もなにか落ち込んでることがあんのか?」 「いえ、なぜですか?」 覗き込んできた瞳。心配そうな色に、少しだけ動揺する自分がいた。 「やっぱなんかあんだ」 「いえ………」 「隠すなよ!」 スーツの袖を握って引っ張り、更に近くなる距離。 ここで俺も腕を回せば、抱きしめてしまう。 「響介、前もおじさんが死んじゃったとき隠してたじゃないか。あの時、ここで独りでつらそうにしてた」 あれは八年も前のことだ。 独りになれる場所を探して、ここに来た。 脳溢血。突然の訃報に、実感がわかずに呆然としていた。 通夜の準備も葬儀屋がぜんぶしてくれるので、喪主といっても特になにをするでもない。なにをしていいのかもわからない。 ただ訪れる報せを聞いて駆けつけた人にお辞儀をして、ひとことふたことこ決まった言葉を交わすだけ。 なにがなんだかわからなくなって、詰まった息を整えるために人の少なそうなこの中庭にきた。 一人になっても、なにを考えることもなく、ただ咲いている花を見ていた。 そんなとき、悠希が俺を見つけて俺の代りに泣いてくれた。 「悲しい時は泣いてもいいんだよ」と。 あの時、泣く悠希を抱きしめながら、「あぁ、俺は悲しかったんだ」とその暖かさに教えられた。 悠希がいなかったら、そんなことも気づかなかっただろう。 「響介はズルイ。いつも俺のこと気にするばっかで、俺には心配させようとしない」 「……………響介の心配なんて、悠希さまはしなくていいんですよ」 そう言ったら、悠希はすごく傷ついたような顔で俺の胸をドンと強く叩いた。 「心配なんて、俺が勝手にすることだけど! だから! 響介がそんなこというな」 何度も胸を叩きながら、悔しそうに言う。 「悠希さま………」 「響介は、俺の心配するのだって仕事だからだろうけど………そんなのわかってるけど、俺が響介の心配するのは仕事じゃないかんな!」 「悠希さま。響介は仕事で悠希さまを心配したことなど、一度もありませんよ」 仕事だなんてとんでもない。 俺の悠希に対する想いは、仕事をとうに超えてしまっている。 こんな風に悠希に心配してもらえる権利は、自分にはもうない気がした。 「ありがとうございます。その気持ちだけで、響介は嬉しいですよ」 離したくはない悠希を、自分から引き剥がす。 悠希を心配していたのに、逆に心配されることになるとは。 「ちぇ、大人の余裕かましやがって。いつまでたっても子供扱いされてる」 不服そうにムニッと俺の頬をつまむと、軽い力を込めて引っ張った。 「なにするんですか」 そんな所がまだ子供だということを、わかっていない。 だけどそんな悠希だから、人を惹くんだろう。 悠希が次になにをするのか、いまなにを考えているのか、知りたくてそばにいたくなる。 「眠くなった。寝るから、響介は膝を貸せよな」 「ここでですか? 毛布をお持ちしますから、離れに移動しましょう。ここじゃ狭いでしょう」 いま二人で座っているだけでも窮屈なのに、ここで寝転がるのは無理な態勢になる。 「いいから!」 どかっと肘掛から足を外に出すと、器用に横になる。 とんと膝の上に頭を置くと、悠希は気持ちよさそうに目を閉じてしまった。 俺が着ていた上着をかけると、横になるには寒かったのかもどもどとそのぬくもりを抱きこんだ。 「電話が鳴ったら起こせよ………」 しばらくうとうととしていたが、そのうち静かな寝息を立てて悠希は寝入ってしまった。 鳴らない電話を気にしてる。悠希は、待ち望んでいる。 子供の恋愛だと笑っていられたら良かった。 まだ高校生の悠希が、一生の恋などできるはずがないと決めつけられれば。 こうやって手の届く場所に自分の身をおいても、悠希とは遠い気がする。 悠希の言う通り、仕事としてそばにいるからだ。 本心ではどう思っていようと、これは仕事だ。その事実が、距離になる。 「子供は鋭い所をついてくる」 自分で言って、可笑しくなる。 仕事以上の関係になれないわけだ。 「……………滑稽だな」 最愛の寝顔を見ながら、自分の半端さを笑っていた。
「響介さん、悠希さまは?」 悠希を離れに寝かせて母屋に顔を出すと、一応心配していたらしい相原に呼びとめられた。 「相原、『吉兆』に弁当を取りに行って来い。電話はもうしてあるから」 悠希は離れだと言ってやると、ホッとしてきまづそさうにぽりぽりと頭をかく。 「いいか、形を崩すなよ。せっかくの弁当だ。揺らさずきれいに持って来い」 「ハイ、じゃ行ってきます」 行く背中を見送っていると、なにかを思い出したように相原が振りかえった。 「あの、さっき先生から電話入りましたよ。いま出てるって言ったらきっちっゃったけど」 「わかった」 携帯に出ないから、こっちに電話を入れてみたのだろう。 起こせと言われたが、携帯に電話が入っても起こさなかった。 二度ほど鳴ったが、最後にかかってきてからまだ三十分とたっていない。 どうせまたかかってくるだろう。 着信履歴を悠希が確認してもいいように、電話はかかってこなかったことにしておいた。 黒須が電話したと言ったとしても、履歴がなければしてこなかったことになる。 携帯をシャツの胸ポケットにしまうと、二階の悠希の部屋に肌かけを取りにいった。 「あれは………」 窓からふと外を眺めたときに、見覚えのある人影が目に入った。 門の外、背の高い人物が中を伺うように通りすぎた。 黒須隆典、間違いない。 手に取った肌かけを、またベッドの上に戻すと急いで裏口へとまわった。 屋敷の右手から正門に回ると、黒須の後ろ姿が見えた。 立ち止まって、なにかをしている。 と、そのとき胸ポケットの携帯が鳴り出した。 「悠希?」 間近で鳴った、悠希お気に入りのサザエさんの着メロに驚いて黒須が降り返る。 「柴崎響介……………」 期待が裏切られ、黒須は露骨に眉を寄せた。 「あなたがなぜ悠希の携帯を?」 「先生こそ、こちらへはなんの用で? 悠希はいま寝ています。お帰りください」 そう言い放ったら、眉間のしわが深くなった。 俺とこの黒須とは、歩み寄ることはない。 悠希が好きだという黒須の存在を俺は許せないが、黒須のほうもいつもそばにいる俺が目障りらしい。 「起きるまで待たせてもらいたい。どうしても、謝りたいんだ」 切実さは、黒須の表情で伝わってきた。 悠希を失くしたくないのは、自分だけではないんだと思いはするが、じゃあどうぞと簡単に道を明け渡すこともできない。 「頼む……………会わせてくれ」 だが頭を下げられてしまった。 深く、俺に向かって黒須は頭を下げた。 「………………離れにいる」 「え」 びっくりしたように、黒須は顔を上げた。 「眠っているのは本当だ。謝るのは勝手だが、悠希を起こさないで欲しい。起きるまで待つのが条件だ」 「わかった」 俺が承諾したのがよほど意外だったのか、黒須は少し戸惑っていた。 「間違えるな。お前のためじゃない。俺は、悠希が泣くのが嫌なだけだ」 横を通りぬける黒須に、俺は続けた。 「今日は通す。だが次はない」 「…………………………」 黒須はなにも言わず、ただすれ違いざまにもう一度頭を下げて行った。
「響介ッ!」 私室のドアが、ノックもなしに乱暴に開けられた。 ちょうど風呂上りだった俺は、グラスに冷えたウォッカを注いでいた。 「機嫌がいいですね」 「吉兆、美味しかったぜ!やっぱ和食だよなー」 どかっといつものようにベッドの上に飛び乗ると、サイドボードの上にあった経済誌を手に取った。 みてもわからないくせに、パラパラとやっている。 「散らかさないでくださいね」 「……………こんなのばっか見てると、つまんない男になっちゃうぜ。もっと遊ばなきゃ」 やっぱり興味がわかなかったらしく、ポイとあった場所に悠希は雑誌を投げた。 「悠希さまこそ、近い将来に会社を継ぐんですから、少しは経済を学んでくださいね」 言うと、とたんに渋い顔になる。よほど嫌いらしい。 「俺はいいの。響介がいれば、なんとかなるんだろ?」 当然のような口調だった。 俺がいつまでも隣にいると疑わない。 「では響介は、遊んでるわけにはいかないですね。不肖悠希さまのサポートに付かねばなりませんので」 「いうねぇ、どうせバカ息子だよ」 俺の嫌味に、悠希は唇を尖らせた。 くるくると良く変わる表情に、いつも惹きつけらせれてしまう。 「響介……………」 寝そべってパタパタと動かしていた足を止めると、悠希は起きあがって俺を正面から見つめる。 「どうしました? 改まって」 「ありがとう………先生呼んでくれたの、響介だろ?」 照れくさいように、悠希は言った。 「起きたら隆典が横にいて、すごいびっくりしたよ」 そのときを思い出したのか、悠希の頬が少し赤みをおびる。 「先生はなんておっしゃったんです?」 なぜだか口の中が乾いて、俺はウォッカを口に含んだ。 四十度のキレた味が、水のようだ。 「隆典が帰り際に、「柴崎さんにお世話になりました」って。めづらしいよな、隆典がそんなこと言うの」 「そうですね」 お互いの存在を認めざるをえない。 越えてはいけない線、踏みこんではいけない境界線の手前で、踏みとどまっている。 超えたら、いまの悠希との距離を保てなくなる。 こんなに牽制しあってても、壊すことまではできない。 「私からも、先生によろしくとお伝えください」 俺がそう言ったら、悠希は私まで意外なことを言い出したというような表情になる。 「へんなの。今日は二人ともどうしちゃったんだよ………ふぁ……………」 「悠希さま、眠いのでしたらご自分の部屋に」 と言ってるそばから、もぞもぞと布団に入り込んで寝る態勢を取っている。 「悠希さま」 布団をめくってみたが、すぐもとのように抱え込んでしまう。 「ちょっと寝かせてよ。部屋まで戻るのめんどくさい」 寝つきが早いのは子供の証と言うが、それが正しいなら悠希はとても幼いことになる。 寝顔も、歳よりは幼く見えた。 「……………愛してますよ」 悠希という最高の酒の肴を愛でながら、俺はその晩ウォッカを一本あけた────────────。 |
とつぜんこれだけ読んでも、ちっともわけわからん? な話だと思います。 2003.03.13 |